おっさんになると新しい音楽を脳みそが受け付けなくなる説

30歳近くなってくると、新しい音楽を脳みそが受け付けなくなる説。

 

私がその例の一つ。

 

大学生の時は、音楽CDを大量にレンタルしてきてはパソコンに落としていたものだが、社会人になってみるとそれもぱったり。

 

ただ、このまま趣味の一つがまた一つ失われるのも悲しいもので、久々にTUTAYAにCDを借りに行ってきた。

 

久しぶりすぎてカードもなくしていたし、TUTAYAにも自動精算機が導入されていることも知らなかった。

 

久しぶりに音楽を聞いてみると、なかなか悪くないもんだ。

 

音楽聞きたい気持ちを高めるのを手助けしてくれたよねづけんしに感謝したい。

 

脳みそが新しい音楽を受け付けなくなっているのではなく、そもそも仕事をしていることで新しい音楽を聴くのに割くリソースがなくなっているだけなんじゃなかろうか?

 

 

そうそう、最近、友達と交代でシェアしていたノートパソコンから、自分用のパソコンに切り替えてより自由度の高い運用ができるようになった。

 

自分用のパソコンを持つと、2chのコピペブログを漫然と眺めてみたりと、堕落した人生を加速させてしまうのではないかと思ったが、案外そうもならなかった。

 

というか、スマホだけでも十二分に堕落しつくしていたのである。パソコンのほうが画面を見やすいのと、文章を打ち込んだりするのも手軽なのと、効率よく堕落できるので同じ堕落ならパソコン使ったほうがいい。

 

ふと、思いついてまじめなことをしよう(例えばブログを書いたり、マクロの勉強をしようとしたり)とすれば、がぜんパソコンのほうが優れているので、パソコンのほうが堕落からの復活するにはいいと思う。

 

スマホの台頭により、パソコンはいらなくなったかなと思っていたけど、そうじゃなかったよ。VIVAパソコン。

バドミントンに愛を…(なぜ運動音痴がスポーツをするのか?)

前にこういう記事を書いた。 

hokusoemi.hatenablog.com

 なんか、テンション上がって書いたクソ記事である。

読み返してみても、「で?」という感じである。

 

でも、この記事の中でバドミントンをしていたことが、一見関係のないような様々な出会いにつながったようなことを書いているが、バドミントンというスポーツからいろんなものをもらったということは、私の中でとても重要な事項である。

 

今日は運動音痴が、わざわざ苦手分野であるスポーツに挑戦したことがどういう意味を持ったかということをちょっと考えてみたい。

 

もし、仮に中学や、高校に進学するときに、運動部に入るべきかどうかを迷っている中高生がいるなら、ぜひ伝えたいことだ。

 

この記事を書いている私は、現在32歳であり、自分の怠惰な性格を考慮すると、正直バドミントンの実力面での成長はほとんど望めないような状態である(怠惰な性格を直せという意見は認めない。怠惰なので。)。

仕事から解放された貴重な時間をバドミントンに割くことは、今の私にとってどれだけの価値があるだろうか(おまけにバドミントンをしたあと2,3日は疲労と筋肉痛を引きずることになる)。

 

せっかくなら、続けたいという気持ちもあるが、正直ちょっと飽きてしまっているのも実のところ。

 

でも、これまでバドミントンにいろんなものをもらったのは本当だ。

そこで、今一度私がバドミントンから何をもらったのか、ちょっと振り返ってみようと思う。

 

バドミントンを始めたのは、小学6年生のころである。

 

基本的に、スポーツがからきしダメな私だが、野球やサッカーといった、ボールや人との接触に恐怖感のないバドミントンならできるんじゃないか、あるいは、スポーツ人口の少ないバドミントンなら、周りの運動できる連中から感じるプレッシャーも少なく、和気あいあいとプレーできるのではないか、というのが始めたきっかけである。

 

ほかにも、体育でやった時に思ったより楽しかったから、という理由もあったが、我ながら、情けないばかりだ。

 

それでも、本質的に運動が苦手なのは、当時の自分も十分理解していたはずなので、ヘタレながらも、苦手分野に挑戦しようとした意気込みは少しは褒めてもいいと思う。

 

そのあたり、当時の私にどういう感情の機微があったのかはもはや思い出せないが、やっぱりバドミントンを舐めていたのだろう。

 

 

ただ、その判断は本当に自分の人生にプラスに働いたと思う。

 

中学以降も当然ヘタレの私は、少しなりとも周囲に対するアドバンテージのある、バドミントン部を選択した。

新しいことに挑戦して、その中でコンプレックスを積み重ねるのはまっぴらゴメンだったのである。

 

しかし、まだ黎明期であり、クラブチームなどもほとんどなかった当時のバドミントン事情においては、そのわずかなアドバンテージはかなり役に立った。

 

運動部のリーダーは、たとえどんなにリーダーシップが強くても、最低限度の実力を持たなければさすがに務まらないが、私はその最低限度の実力を持つに足りたのである。

 

結果、中学、高校、大学(サークル)と、私は副キャプやキャプテンを歴任することになる。

当然、私がキャプテンになるような弱小環境(特に中学、高校)だったので、中学、高校においては顧問や指導者は実質不在であった。

もちろん、精神的に未熟な私は、組織の運営において今思い出しても痛ましい失敗を繰り返すのだが、それも含めてよい経験だったといえるし、中高において、数々の失敗を繰り返した後の大学のサークル運営はなかなか悪いものではなかったのではないかと思う。

 

人とのつながりにおいても、バドミントンを通じて直接仲良くなったりした人はもう数百人というレベル(大学のサークルだけで軽く150人くらいいる)だし、先に紹介した過去の記事のように、バドミントンをしていたことが回りまわって、交友関係の輪を広げた例もある。

 

また、バドミントンをやることによる直接的なメリットもあった。

 

特に、メンタルのマネジメントに関してはすごく役に立ったと思う。

ほかのスポーツをよく知らないから、相対的な話はできないが、バドミントンはかなりメンタルの影響を受けるスポーツだ。

自分のメンタルの調子の良しあしが、普段のたゆまぬ練習の結果を軽く覆したりする。

感覚的には、客観的に見て1枚上の実力の相手でも、こちらのメンタル状況次第では勝ててしまう(いわゆるゾーンというやつか)。

逆に、自分の気持ちが弱気になったりすると、普段だったら負けないような相手にも簡単に負けてしまう。

当然、その両者がタイミングよく合わさると、大どんでん返しすらありうる。

 

何度も言うが、私はヘタレなので、バドミントンを始めた頃には、相手が少しでもチャラい態度や、やる気のなさげな態度を見せると、途端にビビったり、こちらもやる気をなくしてしまったりと、調子を崩してしまっていた。もちろん、緊張もめっちゃする。

 

でも、まあそれも長く続けてくると、そのメンタルのマネジメントまで含めて実力なので、具体的にどうメンタルをコントロールするかを考えるようになった。

 

チャラい感じのプレイヤーは特に苦手だったが、何度もこのようなタイプを相手を数る間に、その特徴を分析することができた。

メンタルコントロールの一例として紹介したい。

 

この手のタイプのプレイヤーの特徴として、

①とても運動神経がよく、自分に自信を持っている。

②だから、大胆なプレイや行動をとることができる。

 

ことが前提にある。

だから、逆に一度何らかのきっかけで屈辱を与えてやれば、その自信の前提が崩れ、ふてくされて集中力を切らす場合が多い。と私は分析している。

 

逆に自己肯定感の低いヘタレは、バドミントンにおいてしてやられたときに、崩れ去るプライドがないので、その点ではメンタルは安定しているともいえると思う。

 

これらから、ラリーの間で何とかして、相手の癖を読み、「残念お見通しだ」とばかりに相手の好きなパターンを打ち破ってやるのだ。

 

もちろん、それに成功したら、オーバーリアクションで喜んで、満面の笑みで悔しそうな相手の顔を覗き込むことを忘れない。

 

まあ、なんちゃいえばメンタル攻撃だ。そして、このメンタル攻撃は、効いてるか効いてないかはあんまり関係ない。

メンタル攻撃を仕掛けることで、自分がメンタル上優位にあると思い込むことで、自分のメンタルを安定させることが重要なのだ。結局、直接コントロールできるのは、自分だけという話。

 

これが日常においてどう役に立っているかというと、まずメンタルの大切さを知っていること自体が、とても重要だ。

 

日ごろから、失敗したり、怒られたりして落ち込むことも多いが、基本的に失敗したことに対してきちんと反省することができているのであれば、あとは落ち込んでいるメリットは何一つないのだ。

 

失敗に対する事後策をまとめ終わったら、「失敗したけど、どうせほかの人も失敗するしな」とか、「普段からプラスアルファで頑張ってるから、多少の失敗は問題ないだろ」とか「自分を叱ったりした相手を脳内でバドミントンでぼこぼこにしたり」とか。

 

実力差以外のあらゆる条件が、みな全く同じであるバドミントンコートの上に人間関係を並べてみると、結構落ち着くことも多い。

 

 

まあ、こういう具合に私はバドミントンに大変お世話になったのだが、今後この人生の恩人のバドミントンとどう向き合おうか。

 

今日は職場関係者でバドミントンをしてきたのだが、なかなか楽しかった。相変わらずへたくそだったが。

 

でも、それだけじゃだめだ。人生の生産性を高めるために、まだ恩人のバドミントンから得られるものを搾り取らなければならない。

 

ということで、今後はまだバドミントンでやれていないことをできる限り試してみようと思う(走り込み以外で)。

 

この間は、初めて自分のプレーを動画に収めた。絶対なにか効果があるとは思ったが、ちょっと恥ずかしいと思ってこれまでやったことがなかったのだ。

 

あとは、プレーの分析をしようと思う。

自分の得意なコース、苦手なコース、あきらかに得点に結びついていないプレー、逆に案外効いているプレーなどを分析することができれば、まだ伸びしろはあるはず。

 

面白いのが、そう思ってプレーの記録をするアプリとかを探そうと思ったのだが、Ipadでのみ使えるアプリ1つを除いて、実用的そうなものはなかった。

 

結構、作ろうと思えば簡単にできるはずなのにだ。

そういうアプリは、現在クラブチームなどと組んで開発中だとのニュース記事もあった。

 

こういうのって、たぶん一番先に使いやすいものを思いつけば、それなりに収益につながったりもするんじゃないだろうか?

もうちょっと発展させて、ランニングアプリのように、SNSにして世界中のプレイヤーデータを集めて、クラスタリングしたり、プレイスタイルごとに特長や弱点を見つけ出したり。

 

まだバドミントンはまだ私に何かを、与えてくれるみたいだ。

 

明日もまた、筋肉痛だろうな。

 

LGBTの人は有能な人が多い説

LGBTってなんじゃい!


LGBTとは、性的少数者の総称を言います。 「レズビアン(女性同性愛者)」、「ゲイ(男性同性愛者)」、「バイセクシュアル(両性愛者)」、「トランスジェンダー(性別越境、性別違和)の頭文字をとって名付けられました。 とくに、トランスジェンダーの概念は幅広く、心の性別と体の性別が一致しない方は、FTM(Female To Male=女性から男性)やMTF(Male To Female=男性から女性)と呼ばれ、心の性別がなく、無性・中性として生きている方は、FTX(Female To X)やMTX(Male To X)と、細かく分類されます。 これらの呼称は、自らのことをポジティブに語る用語として北米・ヨーロッパで生まれ、現在では世界中で使われています。

知っておくべきLGBTの基礎知識!日本での現状や海外の制度

 

と、このくらいの知識はあったのだけど、ちょっと最近気になることがあった。

 

と、いうのも、ゲーム理論から考える社会の全体最適について、めちゃくちゃわかりやすいシミュレーションゲームを見つけたんだけど。

ncase.me

 

それが、あまりに素晴らしかったので(これについても、そのうち一つ記事を作りたいと思う)、作者はどんな人かなーって思って調べてたのね。

 

everipedia.org

 

そしたら、シンガポール出身の25歳の若者、そしてLGBTなんだって。

 

ゲーム理論やらの相互作用から来るカオス理論についてが専門であることもあってか、もし自分がLGBTであることを打ち明けるためのシミュレーションゲームを開発したことでも有名な人物っぽい。

 

ほー、なるほどね。

 

これは私のこれまでの経験論で、まだ一般化するにはちょっと検証不足かもしれないけど、ひょっとしてLGBTの人ら、って一般のそれ以外の男性・女性よりもより高度な視点を持つ可能性があるんじゃないかと思ったのよ。

 

今まで、私が知っているだけでLGBTの人に5人あったことがあったのだけど、そのうち2人は卓越した知性を持っていた。

 

一人は、仕事で付き合いがあった人物で、私よりもだいぶ年上だったけど、とある分野ではもう何年も最先端の見識を持った人物だった。

 

あと一人は、私が台湾に旅行に行ったときにあった帰国子女の日本人で、たまたま台湾人と中国人と、その彼と私とでテーブルを囲む会があったのだが、彼の話もとても面白かった。
日本ではだいぶ苦しむことも多かったみたいだけど、そのことが彼の精神性をより高めた可能性もあるのではないかと感じた。

 

それにこのNicky Case氏も加えると、なんだろう。

私の考えに影響を与えるほど、素晴らしい人物のうち、LGBTの割合が相対的に高いような気がするのだ。


LGBTの割合は10%くらいのようだが、実際にそれをカミングアウトできているのは半分もいないのではないだろうか?

 

今まで、私の考えに影響を与えた人物って、うーん。10人いるだろうか?

 

まあ、それくらいの中に2人くらいはLGBTがいることになるのだ。

 

 

で、考えた。

 

そもそも、LGBTって、圧倒的に生物的に不利だと思うわけ。

だって、たぶん、彼ら子供産むことができない人が多いでしょ?

遺伝子を残すっていう意味において、生物学的に不利だってこと。

 

 

でも、その遺伝学的に不利なLGBTが人間社会の10%もいるってことは、これ彼らには生物学を超え、人間の社会学的な意味合いで、重要な存在価値があるってことなんじゃないかな?

 

生物として、男と女に役割分担することは、今の脊椎動物では合理的なこととされている。

その一方で、人間においては性別が生み出す思考的バイアスが、いろんなイノベーションを阻害していることも多々あると思う。

 

あんまり具体的な例えが思いつかず、申し訳ないが。皆さんも思うことは多いだろう。

 

「これだから男は」「これだから女は」

 

それらを超越して、新たな概念を生み出しうる存在として、LGBTの人々がいるんじゃないかなと思う。

 

また、LGBTとしての苦悩を味わうなかで、自分の中の精神性が高められる側面もあるのではないだろうか??

 

で、なぜ今更そんなことを急に書き起こしているかというと、さっき気になってLGBTについて調べたところ、LGBTでいろいろ調べてると、LGBT市場をターゲットとしたビジネスの話が結構出てくる。

 

実のところ、LGBTが10%もいるってのは、正確な統計じゃないんじゃないかと疑っていた自分が今まではいたのだが、

 

自由経済が無視できないほどの存在感がLGBTにはある、ということはこれは本当にそれくらいの割合がいるのではないか?

 

と、思ったからだ。

 

残念なことに、私はコテコテの男性タイプで、しばしば女性的な柔軟な思考にあこがれることがある。

 

その一方で、男性的な論理的思考能力には、結構自信がある笑

だから、今の私はそれはそれでいいと思うのだけど。

 

それらを具有する、優れた人物にこれからも出会うことがあるといいなー、ってぼんやりと思いました。

世界一わかりやすいAI技術の解説(ニューラルネットワーク)

 

今日、職場で急にAIを活用して業務改善ができないか、という話が降ってきた。

はいはい、確かにAIってなんかかっこいいもんね。

ニューラルネットワークをはじめとしたAI技術って、根本的にはコンピュータ技術の急激な進歩によって可能になったものなんだよね。

でさー、フツーに業務をこなしてるだけで、イントラがキャパオーバー起こしてダウンしているような貧弱なサーバしか持たない職場で、そんなもの導入する余地があるんかな??

 

 

ちうことで、その辺のことを説明するための練習として、ここでAI技術の説明をしようと思う。

まずは、最近よく言う「ディープラーニング」に代表されるニューラルネットワークについて解説しようと思う。

 

ニューラルネットワークは、例えば明日の天気のような、

 

『何となくだいたいの予測はできそうだけど、いくらでも予想外の事態が起こりうるもの』

 

に対して効果を発揮する、予測技術だと認識している。


もうちょっとわかりやすい例を挙げてみると、

「どんな男がバレンタインチョコをたくさん手に入れることができるか」

みたいなのが、面白いかもしれない。

大体、あいつたくさんチョコもらいそうだなーってのはだいたい想像がつくけども、一見男前な奴が、女の子にはからきしもてなかったりもする。

 

そこで、とある高校1年生のクラスの男子が総集結して、もてる男とはいったいどういうやつなのか、ということを議論してみた。


まずは、クラスの男子20人全員に、バレンタインチョコを去年何個もらったかを聞き取り調査を行った。

そのあとに、もてる男に必要な条件をみんなで列挙してみた。

①顔
②身長
③筋力
④おしゃれさ
⑤肌のきれいさ
⑥運動神経
⑦学力
⑧優しさ
⑨ユーモア
⑩経済力

こんなものだろうか。

イメージ的にはこういう感じだ。

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これらの条件をもとに、またクラスの男子全員を、各項目10点満点として点数付けを行ってみて、バレンタインチョコをもらった数と比較してみた。

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そうすると、この点数の順位とチョコをもらった数の多さは、かならずしも一致しないということが分かった。

よくよく分析してみると、そのうち、③握力⑤肌のきれいさ⑥学力⑧優しさは、チョコの数に与える影響が小さい一方①顔②身長④おしゃれさはチョコの数への影響度が高いことが分かった。

そのため、再度各項目ごとに重みづけを行った。

具体的には影響が少ない項目は、点数を半分にし、影響が大きな項目は点数を倍にしてみた。

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この図において、太い線は点数を2倍に設定した要素であり、細い線は点数を半分にしていることを表す。

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すると、チョコをもらった数と、点数の順位はほぼ一致した。


これで、このクラスの男子は、チョコをたくさんもらうためにはどうすればいいのか、ということを説明することに成功したのである。

 

そして迎えた高校2年のバレンタインデー。

昨年度確立した理論に基づき、去年はチョコをもらえなかった男子も、必死にできる限りの努力をした。

ことしは、あいつにばかりチョコを持っていかれることはないはず…。

誰もがそう思った。


ところがどっこい、結局ふたを開けてみると、去年と同じようなメンバーがランキングに名を連ねた。

中にはランクを大きく伸ばしたやつもいたけども、同じように努力したはずの男子でも結果は散々だったものもいた。

理論に基づいて、それぞれが必死に努力したにも関わらずだ。


なぜだ…。なぜなんだ…。


なにか、見落としている要素があるはず。

チョコをもらえなかった男子は、また考えた。

 

昨年度のデータではもらえるチョコの個数の傾向をほぼ、完璧に予測することができたはずだったのに、今年のデータまで加えてみると、その予測は完璧でないことが分かった。

 

去年の分析は、データ数が少なかったせいで、たまたま完璧に予測ができていたように見えただけだったのだ。

 

クラスの男子は、反省した。

 

女心がそんな単純に予測可能なわけがなかったのだ。

 

そして、ある仮説に至った。


それはなにかというと、

チョコを何個もらえるか(≒いかにもてるか)ということは、最初に挙げた10個の基礎的な要素に直接比例しているのではなく、それぞれの要素が複合的に絡み合って生まれる別の要素に直接的に関係しているのではないか?

ということだ。


具体的にどういことかというと

A.たくましさ・・・ ②身長③筋力といったものの影響が大きい要素
B.清潔感  ・・・ ①顔④おしゃれさ⑤肌のきれいさといったものの影響が大きい要素
C.信頼性  ・・・ ③筋力⑦学力⑧優しさ⑩経済力といったものの影響が大きい要素
D.名声   ・・・ ①顔④おしゃれさ⑥運動神経⑨ユーモア⑩経済力といったもの影響が大きい要素
E.ギャップ ・・・ 例えば、③筋力と⑦学力のような相反する要素を持っていること

これら5つの要素が、本質的にもてる男を構成しているのではないかということだ。

 

図にしてみると、こんな感じだろうか?

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これらをもとに、もう一度、男子の点数をつけなおしてみた。

しかし、この作業は困難を極めた。

なにせ、A~Eの要素に、基本となる10個の要素がどう影響しているか、を調べた後

さらに、A~Eのどの要素が、チョコをもらえる個数に与える影響が大きいかを調べる必要があったからだ。

また、このクラスの男子20人分×2年分のデータだけでは、正解となる重みづけの組み合わせが複数存在することとなり、それらのうちどれが真の正解かを特定するためには、さらに他のクラスのデータまで追加して検証を行う必要があった。

 


そして、分析を行うこと10か月。ついに、学年の男子のデータすべてを費やしてなんとか翌年のバレンタインデーまでに、「もてる男理論改」を打ち立てることに成功したのだ。

果たして高校最後のバレンタインデー、結果はどうなったことだろうか?

 

それは皆さんの想像にお任せしたい。


だって、そもそもニューラルネットワークの仕組みについて説明したかっただけだからだ。

 

AIに話を戻したい。

 

「どういう男がもてるか」や「明日の天気はどうか」という、一見簡単に見えて、そう一筋縄にいかない事柄について予測をするときには、基礎的な要素から構成される中間的な要素を設定することで、正確な予測が可能になるということである。

しかも、その中間的な要素は、多ければ多いほど、予測精度は高まるらしい、ということが近年の研究によって明らかにされてきた。


ディープラニングというのは、現代の顕著なコンピュータ技術の発展と、インターネット等の発達により半自動的に膨大な量の正解データを集めることができるようになった(いわゆるビッグデータ)ことによって、圧倒的多数の中間要素を多層に構成することが可能となったことで実現した技術なのだ。

例示した、「もてる、もてない」のケースように1つの中間要素で予測するだけなのであれば、もてたくて必死なだけの男子高校生にも理解可能かもしれないが、何層にも中間要素をおいた高度な予測モデルにおいては、もはやその中間要素が何を示しているのかを人間の脳では理解することができない。

ゆえに、ニューラルネットワークはしばしば「ブラックボックスモデル」と呼ばれる。

なんかわからんけど、うまくいく。

それが、ニューラルネットワークなのである。

 

さきほどの事例をもとに、どういうものであれば、ニューラルネットワークが適用できるのか考えてみたい。

 

ニューラルネットワークが適用可能な事例というのは、少なくとも「誰かが正解を教えることができる」必要性があるのである。

「もてる、もてない」問題に関しては、チョコレートの数という明確な正解があった。

その明確な正解のもとに、理論をより正確なものに近づけることができた。

だから、AIがいかに万能とはいえど、人間がAIに正解を教えることができない問題には、AIの活用が見込みづらいのである。


その辺が分かってないと、AIの使いどころを見誤る。

ほかの例でいうと、「人間が手書きで書いた文字をコンピュータに認識させること」とか「人間が声で発したことを、コンピュータに文字に起こさせる」とかは、人間が答えを繰り返しだれでも教えることができるので、確実にいつかAIで実現することができる。

 

外国語の翻訳も似たようなものである。

google翻訳、「翻訳は正確でしたか」みたいなことをフィードバックすることができる。

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これはただ、顧客満足度を調査しようとしているのではなく、ユーザーから半自動的に正解データを得ようとしているのである。


AIとはいえ、人間が正解を見つけることができないことは、実現できない。


これが、AIを利用する最低限知っておくべきことだと思う。

 

 

そうそう、ニューラルネットワークの「ニューラル」って「神経の」って意味らしい。

 

そう、人間の神経系の動きをモデル化してできたのが、ニューラルネットワークってわけ。

 

なんやそりゃって思うでしょ??

 

俺も最近twitterで流れてきて知ったんだけどね。

 

なんかあって、切れちゃった腕をもう一回つなぐ手術をするとき、お医者さんは元あった神経を元通りつなぐんじゃなくて、とにかく神経という神経を何でもいいからつなぐらしい。

 

もちろん、つないだ直後は、神経伝達があべこべになるから、例えば親指を曲げたつもりなのに、人差し指が曲がったりするらしい。

 

そこでリハビリですよ。

 

正しい動きはこうですよー、って繰り返し体に教えてやることで、なるほど、新しい久指の動きは、こうやって伝達すればいいんだ。

 

って体が覚えるらしい。

 

生き物ってすげー。

感想 ひろゆき著「働き方完全無双」

読んで一番最初に思ったことが、

 

「案外フツーやな」

 

ということです。

これは私としては、いい意味でこう述べているつもりです。

ひろゆきこと西村博之氏は、2chの創始者として特にネット界隈を中心として有名だが、その一般常識にとらわれない明晰な頭脳と、歯に衣着せぬ物言いでしばしば話題を呼ぶ人物だと私は認識しています。

 

当方、怠け者の人間故、働き方に関しては日ごろから思うことがあるのです。

ただし、所詮一つの仕事しかやったことのない若造、たぶん自分の考えには自分も気づかない無意識の偏りや、それまで考えもしなかった盲点があるに違いない。

 

そこで、私としては、そんな博之氏に、私がこれまで積み上げてきた持論の盲点を突いてくれることを期待してこの本を手に取ったところでした。

 

ところが、どっこいこの本を読んでみると、ところどころに博之氏らしい個人主義が垣間見られるものの、いずれの内容も至って突飛なものはなく、非常に誰にとっても役に立つような至って建設的な提言がなされていました。

 

実のところ思い起こしてみれば、目からウロコがでるような新しい視点というのは、その新しい視点に気が付いたからと言って、ごく一般的な意思の強さと体力の人間がそう簡単に実行に移すことができるものではないことが多いと思う。

 

割とありがちな例を出すと、転職の話がそうだ。

 

日本の終身雇用制度はもうほとんど崩壊しかかっているので、これからは個人が必要なスキルを身に着け、特定の企業に頼らないで生きることができるように転職しながらキャリアアップすべし、みたいなことは、終身雇用制度に染まりきったおっさんでも割と理解できるかもしれないが、実際に今の日本の社会でよし分かったとすぐに転職できる人は少ないだろう。

 

この本を読んでいて、そういうハードルが高い話はほとんどなかった。ごくごく平凡なサラリーマンでも取りかかれるような内容ばかりであった。

 

特に印象に残ったのが、人生の生産性を高めるために、睡眠の質や体調維持といったことについてもかなり言及されていたことだ。

 

まさか博之氏から、鼻炎の解消法を教えてもらえるなんて思いもしなかったものだ。

 

それくらい、なんというか「地道」なことの積み重ねという風にこの本を読んでいて感じた。

 

よくある、ベンチャー企業の社長みたいな人が、「若者よ海外へ出ろ」とか上から目線で言っているのに比べても、圧倒的にハードルが低く、怠け者の私としても受け入れやすい内容ばかりだった。

 

 

ちなみに、先の転職の話に関して、本書の中で博之氏は

 

転職しなければならない事態に備えて、年100万円貯金できるようにすること(貯金ができるような生活レベルをキープしておくこと)。十分な貯金があれば、いざというときに転職するためのハードルが低くなる。

 

というようなことを述べています。なんと、堅実なことか。

 

 

 

本著では、大きく①今後の日本の展望と、②その予測される未来の中で個人がどう生きていけばよいかという2つことを著述されています。

 

②のほうについては、↑でこれまで私が書き記してきたように、個人がこれから意識すべきことがライフハックのようにたくさん挙げられている。その内容は多岐多様であるため、もうこのくらいにしておきたい。

 

①の今後の日本の展望についてはざっくり私の言葉でまとめると以下の通り。

 

A 今後の日本は今のタコツボ状態を抜け出すことができないだろうということ

 

B そういう中で、生活のためイヤイヤ働いている人が、優秀でバリバリ働きたい人の邪魔をしないように、「ベーシックインカム」を導入すべきだということ

 

Bのベーシックインカムについては、ちきりん氏のブログがめちゃくちゃわかりやすいので、そちらをご参照のこと。

d.hatena.ne.jp

 

Aの日本はタコツボを抜け出せないということについては、

1 高齢化の進んだ日本では、高齢者の声が大きいため、年金や医療といった高齢者にとって必要な部分を切り崩せないこと(≒よってベーシックインカムの財源が捻出できない)

2 行き過ぎた規制等、「よくわからんもの」への恐怖などに由来する全体が損をする論理が跋扈しているおり、日本が成長するための選択肢をつぶしていること

3 これらに対して、これまで博之氏があった専門家はいずれも論理的な打開策を持たないこと

 

などから、基本的に日本は存続こそするだろうが、もう成長しないというのが博之氏の認識のようです。

 

確かに、日本の現状を嘆き、あーすればいい、こうすればいいと空想することは、もはや限りなく無駄に近く、それよりもまずはどうすれば個人が生き延びることができるかを考えるほうが、ずっと建設的のような気がする。

 

そのような日本の環境の中、特に不遇に立たされることになる若者が、どうずる賢くしぶとく生き延びるかということについて教えてくれる、若者の視点に立ったとてもやさしい本だと思いました。

 

 

 

※不思議なところが、こういう感じで日本の将来をほとんど見放しているようにも見える博之氏ですが、仲間内でどうやれば日本でベーシックインカムを導入できるのかについて、わざわざ試算をしてまで本気で議論をしていたりと、勘違いかもしれませんが、どこかで日本のことを思いやっているようにも感じました。とにかく、博之氏の「やさしさ」のようなものを感じた一冊でした。

思い出しショートカットキー講座の反省

 

そういえば、前にも何回か触れたのだが、私は会社において社員全体のPCスキルの向上を目指して、ショートカットキーのスキル普及に関する講座を行っている。

 

昨年度末に、久しぶりに本店で第2回目の講座を開催したので、その反省点をまとめておこうと思う。


まず、事前集客の話題。

 

支店で講座をやってた時は、全員知り合いが対象なんだけど、本店でやるときは知り合いじゃない社員も応募に応じてやってくる。

 

第1回目は、ひと月前から公募を行い、開催までの間に2度ほどイントラでPR等を行ったところ、参加者は15名程度だった。

 

んだから、今回も同じように十分な期間をとったうえで、何回かPRを打たなければならないだろうと考えていた。

 

結局、利用する会議室の調整に若干手間取った結果、実施の3週間前の公募開始となった。正直、これじゃ十分な集客は図れないだろうなと思った。

 

んが、ふたを開けてみると、わずか2日で満席に!!

 

私の知名度はここまで高まったのか…と正直テンション上がった。

 

で、いざ開催してみるとどうだったか。

 

パソコンの操作能力は、かなり個人差があるものだ。

だから、講座の実施にあたっては、できるだけ講座開始以前に隣席の方とコミュニケーションを図ってもらい、置いてけぼりを食らいそうになった時に、隣の人にヘルプを頼めるような雰囲気づくりを心掛けている。

 

具体的には、隣の人とアイスブレイク的に、自己紹介などしあってコミュニケーションを呼びかけているのだが…。

 

初回の15人くらいしか来なかったときは、結構これがうまくいった。和気あいあいとおしゃべりしてから講座に入ることができたのだが、今回はこちらに呼び掛けに反応してコミュニケーションをとってくれる人は一切なし!

 

24人が定員の研修室は、満室なのにお互い隣に座っている社員に声をかけることもなく、みんな不動。

 

あれ??なんか違うな?

 

と思いつつも、定刻になったので講座を開始する。

 

まあ、よい。私がこれから紹介する秘技の数々を知れば、みな驚嘆し、会場は騒然となることであろう。

 

淡々と講座を進め、そして序盤の山場である秘技「Shift+Ctrl+C,V:書式のコピー」を披露する。

 

さあ、どよめけ!!

 

受講者「・・・」

 

あれ?ノーリアクション??

 

むしろ、「できましたが、なにか??」みたいな感じで次の技を紹介するのを待っている感じ。

 

まあ、きょ今日の参加者はレベルが高いんだろう。

 

なんとか、平静を保ちつつ講座を続けるのだが、そこからずっとこんな感じ。

 

講師としては、もっと「おぉ!」とか「へぇー!」みたいなのがあれば勢いに乗れるんだけど…。

 

いや、よく観察してみると、受講者のうち何名かは、私の紹介するスキルを実践して「ピクッ」と驚きを隠しきれていない。

 

確かに、彼らも内心、「おぉっ!」って思っているに違いない。

 

なんとか、正気を保ちながら、最後の本当に主張したい部分まで説明し終える。

 

終わった後、何名の方かには「役に立ったよ!」とか、「ありがとう!」とかの感想をいただけたところであり、ほっとした。

 

ただ、最初に期待していたほどにはカタルシスが得られなかったのも正直なところであった(もちろんカタルシスを得るために行っているわけではないのだが)。

 

で、結局どういうことだったのだろうと振り返ってみたい。

 

前提条件として、

①今回は初回から間をあけて行った第2回であった。

②初回から第2回の間にも、イントラに便利スキルの掲載を行ってきた

 

ことが、挙げられる。

 

で、これらから何が起こったかというと

 

第2回については、堅実な実力を持った社員がたくさん集まったのではないかということ。

 

私は、正直前回からの間が空いたことで、この講座の認知度やスキルの重要性についての認識が下がったものとみていたが、実は逆でこの長い間が、実力派の社員の間でスキルの重要性に対する認識を充実させたのだと思う。

 

そして、実力派の職員が、業務上の実利を追及して、コソ勉をしに私の講座を受講しに来たのである。

 

そんな実力派が、イチ若手の講座でいちいち驚嘆の声を上げたりしないのだ。

 

逆に、初回の講座については、逆にもともとスキルについて重要性を認識している社員は少なく、そのためどちらかというと単純な好奇心や知的欲求によって引き寄せられた個性派社員が多かったのではないだろうか?

 

と、いうわけで結論としては、

 

スキルの重要性が伝わった結果、普通に優秀な人が、面白半分じゃなく大真面目に参加したから、逆に雰囲気が硬かった。

 

と推測される。

 

まあ、悪いことではないのだ。と、思いたい。

 

でも、個人的にはこれはただのPC講座ではなく、わが社における所属の垣根を超えた業務改善のきっかけづくりなのである。

 

やっぱりもうちょっと盛り上げたいよね???

 

たぶん、もうちょっとパソコンが苦手な人が混ざっていると、素直に周りに相談することも増えて、場が賑わうんじゃないだろうか??

 

今度は資料を全部ポップ体にした、

 

「やさしいPC講座」

 

を開催することにしたい。

 

あ、そうそう。あと一つやろうと思ったことがある。

 

「勝手にプチITコンサルタント

 

である。

 

各職場でちょっとだけPCに詳しいやつがいれば、解決しそうな問題だけど、現状なんともできない、そういった問題を私たちが出張で解決するのだ。

 

基礎的なPC講座は、いつか技術レベルの高まりによりニーズはなくなっていくだろう。

 

そこで、講座にするほど一般的な課題ではないが、たまーによくある問題を私たちが積極的に解決しに行くというわけ。

 

そうこうしていれば、そのうちまたショートカットキーに代わる、全社員に共通する問題を洗い出せるのではないか??

 

おまけにいうと、我々の技術は、常に誰かの相談に乗ることで向上してきたので、そうして職場を超えてITの相談に乗り、問題を解決することで、新たな地平にたどり着くことができないだろうか??

 

とも思うのである。

 

これはぜひ実行に移したいと思う。

冬のイルクーツク、バイカルツアー(2018.2) その10 まとめ

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こんな感じで、私のシベリア旅行は本当に、これまでの旅の中で最高のものだった。

「金も、時間もあまりかけたくない、だけど誰も体験したことがないようなことをしたい」

 

そういう私のねじ曲がったわがままな欲望を完璧に満たしてくれる旅行だったと思う。

旅行から帰って2か月経とうとしている今でも、透明な氷の上に立っているときのあの感動が恋しいくらいだ。

 

一つ、心配なことを挙げるとすれば、なにかとシベリアの観光業が未熟で無防備すぎることである。今回利用したガイドも、現地までの往復500㎞のドライブに加えて、3日間のガイド+二泊三日の宿食事と犬ぞりがセットで、20000ルーブル行かなかった。これは大体35000円くらいで、しかも、これにはバイカルの国立公園区域に侵入するための許可もセットで、現地の悪路を乗り越えるジープ運転手代も込みである。

 

このガイドは特別安いほうで、ほかの会社で手配するとその倍はかかる。

 

ただ、正直それでも全然体験できる内容と、その唯一無二であること、ガイドがいなければとても到達できないことなどを踏まえれば全然妥当な価格だと思う。

 

その今回使わなかった高い会社の料金は、4travelで事前に読んだ記事と比較すると、倍くらいに値上がりしている。

 

たぶん、それだけ需要が上がってきているのだと思う。人が増えれば、それだけマネジメントも大変になるし、何よりいろんなインフラ面での投資も必要になるだろう。

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今回は、そりゃもうありがたく使わさせてもらったが、本当は今回利用したガイド会社はもっと料金を上げるべきだと思う。なんだか、そうしないとそのうち中国の旅行代理店やらなんやらがのさばり始めたときにはすさまじいマージンを持っていかれることになりそうだ。

それとも、敢えて小口の個人旅行客をターゲットに絞って、特別にアットホームなプランを提供し続けるというならそれもいいのかもしれないけど。

バイカル湖周辺は、観光地としては本当に未熟で、スーパーや居酒屋以外にはほとんど店もない。お土産を買おうと思っても、イルクーツク空港に売ってたアザラシの写真がプリントされたキーホルダーやら、バイカル湖の同じ画像を使ったキーホルダーみたいなものしかない。

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イルクーツクでやたらと見かけるアザラシの写真。てか、君ゴマフアザラシかタテゴトアザラシだよね?俺知ってるよ、バイカルアザラシは目が異常にでかくて、灰色でちょっと気持ち悪い感じのやつだよね?なんで嘘つくのかな笑?)

 

これ、ちょっと頭使って、中国人が安くてなんかよさげなお土産屋さん作ったら、あっという間にそっちにお客を持っていかれてしまうだろう。

 

この地域はロシアとモンゴルの中間で、清の時代は中国とも国境を接していた。清との貿易はここから南の街で行われており、イルクーツクも貿易において重要な役割を果たしたらしい。榎本武明のロシア紀行にも、お茶を運ぶ馬車と何度もすれ違う様子が描かれていた。

 

そんな感じで文化・歴史的な背景は十二分にある地域だから、たぶんもっといいローカルの民芸品とお土産になるものがあるんじゃないかと思うのよ。正直、そういうのに出会えなかったのはちょっと残念だった。

 

イカルの氷の美しさは、本当に言葉にできないほどで、SNS全盛のこの時代、たぶん時期に情報は拡散され、たくさんの観光客が訪れるようになると思う。

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その時に、たぶん中国人をはじめとした外資系の開発事業なんかも起こるだろう。国立公園であるこのバイカルを守れるのはまず、ロシア政府であると推察するが彼らが中国人に札束で頬を打たれて、このバイカルをあっさり明け渡してしまったりしないか心配だ。

 

そういう意味で、やっぱり現地の事業者も自己防衛が必要になると思う。現に、イルクーツクの街中ではすでにパチモンのレストランが、観光客に劣悪な料理を食べさせていた。

 

バイカル湖世界遺産の登録要件を4つ(①際立って美しい景観、②地球史上重要、③生物の進化プロセスを示す、④豊かな生物多様性)も満たしており、格の高いものだと考えられるが、世界遺産に登録されたのは1996年と割と最近の話である。共産主義時代のロシアには、世界遺産なんて無用のものだったのかもしれないが、このバイカル湖が観光地としてまだ未熟なのも納得である。そして、それ故に今後この美しい湖が守られるかどうかとても心配である。

この素朴で美しい湖が、その価値を確立させる前に、ブランドが棄損されることがないといいなと心から思う。

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