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意識高い系がなぜむかつくのか考えてみた

宇多田ヒカルの「goodbye happiess」を聴いていたら、だんだん感極まってきて、せっかくだから「意識高い系」についての記事を書こうとしたけど、なんかうまくまとまらなそうだったので、facebookだらだら見てたらちょうどナイスな記事を発見!

leanstartupjapan.org

 

実は「やりたいことが見つからない」というひとたちの多くが、このやりたいことのうち「いますぐには出来ないけどやりたいこと」だけを探していることが多く、ボランティアしたいという気持ちがありながら、目の前の募金箱を探そうとはしないのです。それに対して、やりたいことが次々と見つかるひとは、ボランティアしたいという気持ちが芽生えたらすぐに募金箱を探しては寄付をするという、「いますぐにでも出来るやりたいこと」を見つけてはすぐに実行に移し、達成感を得たら、もっと貢献できることを広げ続けるというタイプのように感じます。

以上記事より引用。以下私の考え。

自分で「こういうことやりたい」と考えたときに「こういうことやって評価されたい」という気持ちが誰しも混じるものだと思う。
んで、「無数にある課題に対する解決策のうち、無用に壮大な選択肢を取ろう」として逆に動けなくなる。

実社会は案外ポンコツだらけで回っているから、社会に出れば最小単位の成功体験を積むのはそこまで大変じゃないのはせめてもの救い。

 

さてさて、「意識高い系」とは、

①「自分がやりたいこと」と「自分がやって評価されたいこと」の区別がついていないため、

②他人に評価されるような「いますぐにはできないけどやりたいこと」ばかりを探して、

③むやみやたらに勉強会や自己啓発本をあさり、んでそれをSNSで公開して、短期的な他人の評価を手に入れる。

ということに腐心している方々のことを言うのではないかと思います。

 

そして、私がなぜその「意識高い系」が大っ嫌いかというと

先述のとおり、世の中ぽんこつなことだらけで、もっと簡単に世直しができる最小単位の事象はいくらでも転がっているにもかかわらず、それには目もくれず、やたらと自主勉強会を開催してばかりで世の中がちっとも良くならないからです。

意識高い系が「勉強会」をやたらやりたがるのは、比較的他人の評価が得られやすく、一見「自分がやりたいこと」につながることだと思い込みやすいからだと思います。

「勉強会」では、業務に向けての個人の心構えは変わるかもしれないけど、システムや構造を変えないと、世の中の本当の問題は変わらない。

 

そ!の!く!せ!

 

意識高い系」はこの「勉強会」を開くことで、未熟者同士でお互いを褒め合うネットワークを構築してしまい、なんと「自分がやりたいこと」をすっ飛ばして「自分が評価されたい」という欲求だけを満たしてしまう。

というトンでもない事態を引き起こしてしまうのです!なんと薄ら寒いことか!

そして、「意識高い系」の「勉強会」の厄介なところは、先述した通り業務に向けての個人の心構えは変わるかもしれないし、お互いを褒め合うことでやる気を高める効果や、人脈を増やす効果があるので、「やるか」「やらないか」で言えば、やった方が確実にプラスだというところが本当に厄介なところなのです。

つまり、こんな「手段が目的化した」薄ら寒い状況なのにも関わらず、存在を否定することができないのです。

しかも、お互いの株をお互いで買い合うので、どんどんそのメンバーの株価は上昇していきます。よそ見も一見よくなるので、職場だったら、こういう連中が普通に出世したりします。

これが気に食わないのなんのって!

私は、常々「本当にすばらしいものが正当な評価を受けてほしい」と思っています。にもかかわらず、実際には口ばっかのばったもんが評価されているのが気に食わないのです!

 

おそらく私の他にも「意識高い系」が嫌いな人がいると思う。多分そういう人は直感的にその「薄ら寒い手段の目的化」を感じ取っているのではないでしょうか?

 

しかしながら、今後私が様々な活動を開くにあたっては、「勉強会」という手段をとらざるを得ないシーンもたくさんあると思います。その場合、あくまで「システムや構造を変えるための手段」として開催するように気をつけないといけない。

だって、私にだって「やりたいこと」と「やって評価されたいこと」がこんがらがってしまうことがあるから。

 

それにしても「勉強会」そのもの悪ではないのに、「意識高い系」が「薄ら寒い勉強会」をやたら開催するものだから、なんだか「勉強会」自体が気持ち悪く見えるのもなんかやだなー

 

とりあえず、自分は、自分が大嫌いな人種にならないように気をつけたいと思います。