なぜ出る杭は打たれるのか?
というよりも、なぜ出る杭を打つ人がこんなにもいるのか?
何か提案をすると、対案も出さないでできないばかり理由を挙げる人がたくさんいる。
おおよそ、表題のことわざにもあるように、昔から否定的にこういうことは捉われているようです。
でも、そういう人はいなくなりません。
多分、人間社会の均衡を守るためや、大きな危機を軽々しく招かないように、こういうタイプの人がたくさんいるんだと思う。
こういうタイプの人がたくさんいることで、世の中持続してきたんだと。
というか、私の中にもそういう気持ちは決して小さからずある。
個人レベルでその感情を分解して考えると、そういう思考に陥る理由は、
①自分の立場やこれまでの価値観を脅かすものであるから
②本当にリスクがあることだから
といったところだろうか。
でも、そういう感情が当たり前に存在するからと言って、目的のために突出することを恐れては行けないと思う。
圧倒的多数の「出る杭を打つ保守的」な思想と、それでもそれに抗って出っ張ろうとするごく一部の革新的な思想とのバランスで人間社会はこれまで発展してきたのだと思う。
自分の頭の中には、巨大な岩がある。そして、その近くに丸太でできた「テコ」がある。なぜだかわからないが、私はどうにかして、その岩を動かしたい。
岩には、テコを差し込める隙間もなくて、とてもどうしようもないように見える。
でも、ノミで少しでも隙間を作って、できた小さな隙間にクサビを打ち込んで、隙間を広げる。
出来上がった大きな隙間に、テコを差し込み、グッと力を込めて岩を転がす。という夢をずっと見ています。