日常の出来事を奇跡だと捉える考え方

例えば、さいころを1回振って、出た目の数をノートに書き留めるということを10回繰り返したとしよう。

 

試行を10回行うことには、おそらく何の変哲もない10桁の数字が出来上がる。

 

何の変哲もない数字なのだが、また同じことを繰り返してみて同じことを再現できる可能性は極めて低い。

 

そう考えると、何の変哲もない数字が、とんでもない奇跡のナンバーにも思えてくる。

 

身の回りに起きる一つ一つの出来事は、何の変哲もないことであるのと同時に、天文学的確率で発生した奇跡でもあるのだ。

 

 

例えば、今日私は市内の某サークル的な団体の活動で、ショートカットキーの講座を行ってきたのだが、

 

これは振り返ってみると、小さい頃バドミントンを始めたのがきっかけとなり、

 

大学のバドミントンサークルで、Aという個性的な友人に出会い、

 

就職後に、たまたまAに顔がそっくりのAの兄に出会い、

 

そのAの兄の紹介で、市内のプレゼンサークルなるサークルに顔を出すようになり、

 

さらに地震の関係で、市内の事務所に異動した結果、

 

プレゼンサークルと関連があり、前々から興味はあったけど参加できなかったこのサークルにも顔を出せるようになり

 

今回講座をさせてもらうこととなったのだ。

 

 

奇跡と言えば、奇跡だけど一つ一つの事象を取り上げてみれば、何の変哲もない出来事である。

 

こんなことを書き連ねてもなんの意味もないけど、何となく楽しい気分になる。