胡散臭い募金活動やってるフィリピン人の女の子がいい子だった話(ネットは感情の増幅装置?)。

まず、最初に今回の話の重要なポイントを述べたい。

 

それは、

「募金活動が詐欺かどうか、判断するのは極めて難しい」

ということだ。

 

最後まで記事を読まない人もいるだろうから、先に最低でも伝えたいことを述べておいた。それくらい今回の結論を私は強く伝えたいのだ。

 

私が最初のフィリピン人の胡散臭い募金活動に出会ったのは、確か大阪だったと思う。

ほかのwebページでも紹介されているような、恵まれない子供たちを支援する趣旨を説明するカード、謎の署名用の手帳を持った女性、といったいでたちもそのままだった。

 

国際派気取りの私は、最初まんまと1,000円募金してしまった。

募金して、しばらく歩いてから「あー、たぶんアレ詐欺やな」と何となくそう思った。

一番の決め手は、謎の署名用の手帳である。

 

先に募金したとみられる人の名前と、その金額が示されているのだが、その金額が軒並み1000円前後になっている。

普通に考えたらこの手の募金でお札をポンと出す人がそんなにいるとは思えず、おそらく最初に架空の署名を1000円台で何件か書いておいて、相場価格をコントロールしているのだろう。

 

すぐに気が付かなかった自分が悔しかったがしょうがない。その金でせめていいもの食えよと。

 

そのあとしばらくして、熊本市でも見かけた。全く同じ手口に、びっくりした。

フィリピン人ネットワークで広まっているのだろう。

 

で、先の3連休、佐賀、福岡で相次いでこの募金活動を見かけることに。

佐賀で遭遇した時は、普通にスルーしたのだが、そのあと福岡で出会ったときはちょっとあることを試してやろうと思った。

 

具体的には、彼らの募金に応じてあげるのだが、募金金額を流れを無視して10円とか100円とかにして、その金額を手帳に書いてやるのだ。

 

たぶん、彼らは募金されないことより、少額を募金されて金額の相場を下げられる方がよっぽど嫌だろう。

さて、どんな反応をするだろうか?決意を新たに、フィリピン人の女の子の前を構ってほし気に通り過ぎてみると、目論見通りたどたどしい日本語で話しかけてきた。

 

ついでに今回は、英語の練習がてら、彼女らの生い立ちなども訪ねてみることに。

なんでも、今回の子は東京の学校で日本語を勉強している22歳で、学校がない時はこの募金活動に従事しているそうだ。

 

ん、東京?

交通費はどうしてんの?と聞いたところ、自費だと言っている。自分の車で来たらしい。効率悪くない??

でも、そういう嘘をつく意味もよくわからないので、本当なのかもしれない。

 

詐欺だって巷では言われているよね、と聞いたことろ、それも知っているとのこと。

なんでも、自身もその募金を実施している母体となる慈善団体によって養育されたらしく、自分もそうして募金活動にいそしむことで、次の世代を助けたいのだと。

例のカードに、慈善団体のQRコードが載せてあったので、アクセスしてみる。ちょっと見はきちんとした団体のwebサイトに見えなくもない。あとでゆっくり調べればいいや。

 

さて、聞きたいことも一通り聞いたので、いざ100円を募金してやることに。

さあ、化けの皮を脱いで本性を晒すがよい。

 

財布の中から、100円を取り出して、彼女が手に持っている封筒の中に入れる。

 

特に嫌がる様子もなく「Thank you!!」と普通に愛想よく喜んでくれた。

いや、でも署名がまだだ。「手帳に書きたいんだけど」と伝えたら、素直に書かせてくれた(すでに署名したとみられる何名か分の記載があった。金額は500円か1000円だった。)。

 

なんか、もっと抵抗されたり、怒られたりするのを予想していたので、拍子抜けした気分になったのと同時に、ひょっとして本当の募金なんじゃという思いも芽生えた。

見た目も割ときれいにしてるし、とにかく態度から邪心が感じられない(あと少しかわいい)。

なにより、妨害されて怒らないということは、その資金を生活の糧にしているのではないということを示している。

ちょっと、これは継続審議が必要だと思い、その子のfacebookページを教えてもらい、別れを告げる。別れ際に「ちゃんと日本語以外も勉強しないとだめよ」と伝えると、愛想よく笑っていた。

 

 

 

さて、帰ってから調べた結果については、下記のNOTEが一番わかりやすくまとまっていたので、ご参照いただきたい。

https://note.mu/g0_0kungu618/n/n2491302a42cf

例のフィリピン募金を調べてみた結果:

 

この記事はとても分かりやすかったのだが、それ以外の記事からは彼らが所属するChildren’s Joy Foundation(CJF:http://childrensjoyfoundation.jp/)や、さらにその母体である「The Kingdom of Jesus Christ(KJC)」について、どういう団体か詳しく読み取ることはできず、単純に「あれは詐欺」と決めつけているばかりでした。

上記のNOTEについて、私も2つの団体のページを調べてみましたが、おおむね同じような結論に至りました。

 

たぶん、彼女は心から自分を育ててくれた団体と社会に恩返しをしたい気持ちで、募金活動に従事しており、その団体も奉仕活動を全くしていないわけではないのでしょう。

 

何%ピンハネしているかわからないだけで、嘘や詐欺行為を働いているわけとは言えないというわけです。

 

案外、こうして考えてみると、そもそも募金が詐欺かどうか、怪しいものかどうかなんて確かめるすべはほぼないに等しく、ただその相手を信頼しているかどうかだけだと気づかされました。

今回のフィリピンの件以外、 日本がやっている募金活動でも同じことが言えるでしょう。

 

慈善活動って難しいですね。

 

さて、ここからはやや余談になります。

私はフィリピン人が胡散臭い募金活動をしていることも問題だと思いますが、よくそれを調べもせずに、詐欺だ、乞食だと決めつけるのも良くないと思います。

 

 

今回の子のように、一見胡散臭い募金活動でも、それなりの宗教観で、社会貢献の気持ちでやっている人もいると思われ、それを一方的に攻撃的に排斥することは、新たな憎しみを生みかねないと思います(ただ、募金は協力しないほうがいいです。彼らの胡散臭いビジネスモデルを崩壊させる必要があるので。)。

 

本質的な課題解決は、彼ら自身が、胡散臭い宗教から目覚めることと、彼らが耳障りの言い教えに騙されてしまうことのないよう、彼らにしっかりした教育と心身のゆとりを提供することです。

 

この新興宗教は、海外にいるフィリピン人も多く信仰しているようです。

出稼ぎに出た慣れない地で都合よく使われたり、騙された結果、こうした宗教が彼らの心の支えになっているのでしょう。そういう意味では、こうした活動をする彼らを生み出したのは我々の社会の闇だと言えなくもないと思います。

 

要は、「詐欺の募金をしているくそ野郎がいる」という短絡的な問題ではなく、もっと根の深い問題だということです。

 

今のインターネットは、だれにでも情報発信ができるようになったため、情報の質に大きな差が生まれるようになりました。今回の件もそうですが、なかなか正しい情報にたどり着くのも簡単ではないようになってしまいました。

また、インターネット広告が主流になってからは、アクセス数を稼ぐため、事実よりも感情をあおるような記事も増えてきたように感じます。TVのような旧来のメディアと同じ弱点を抱えつつあるのです。

 

さらにたちが悪いことに、インターネットでは自分と同じような考えや、自分にとって耳障りのいい情報が集まりやすい仕組みであるため、一度自身の思考のバイアスにはまってしまうと、アリジゴクのように抜け出せなくなってしまうのではないかと思います。

 

インターネットは叡知の箱なのでしょうか?それとも、いたずらに負の感情を扇動する、増幅装置なのでしょうか?

 

おそらく、それは利用する私たちが決めることでしょう。

 

時代は私たちに深化を求めているのです。