読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

限界集落の何が問題か?

私がブログを始めたきっかけは、ちきりんさんという著名なブロガーさんの影響である。

同氏の記事は、常に本質を得ており、「和を持って尊しとなす」精神が強い日本人では口に出すことすら憚られるようなド正論をぶん投げておられるお方です。

今回は同氏の最近の記事に、常々私が考えていることに関連する内容のものがあったため、ご紹介した後、私見を述べさせていただきたい。

以下は、同氏の記事の抜粋である。

ー以下記事抜粋ー

問題の名称をわかりやすく変更しよう! - Chikirinの日記

限界集落が問題だ!

ってのも、何が問題なのかな。

 

そもそも困ってるのは、

限界集落に住んでる人なの? それとも、

限界集落に住んでない人=限界集落の維持費を税金で負担してる人なの?

 

前者=限界集落に住んでてほんとに困ってる人は・・・既に近くの地方都市に転居してんじゃないの? 

てか限界集落どころか、今はそこそこの規模の地方都市に住む高齢者でさえ、郊外の一戸建てを売却して便利な駅近マンションに引っ越すケースが増えてる。

「不便な生活は耐えられない!」って思った人の多くは、自分で問題を解決してるんです。

 

にもかかわらず今もずっと限界集落に住み続けてる人は、「たとえ不便でも、死ぬまでココに住み続けたい!」っていう強い意志があるんじゃない? 都会の人からみれば不便な生活でも、本人は毎日好きな野菜作りとかして、楽しく暮らしてそうじゃん。

 

「いやいやそーじゃありません。限界集落に住んでる人は、実はみな近くの町の便利な地域に引っ越したいんです。だけど貯金もなく、農地や家を売っても近隣都市に転居するための資金が手に入らないのです」、というのなら問題は、

限界集落から近隣地方都市に引っ越したい人が多いのに、農地と家を売ってもお金が足りない問題」って呼ぶべき。

そしたら、自治体が何にお金を出すべきか明確になり、「限界集落から近隣都市に転居するなら、農地と家の買い取りに補助金を出しますよ」っていう政策につながる。

 

それに、どっちかというとこの問題は、限界集落に住んでる人の問題というより、住んでない人の(負担の)問題なんだよね。

つまり、「たいした人数が住んでるわけじゃないのに、集落のインフラ維持に莫大な経費がかかる」という問題なわけ。だからこちらもより正確に、

限界集落は維持費が高すぎて、限界集落に住んでない人の税金が高すぎて大変な問題」って呼べばいい。

こう呼べば、「何にいくらかかってるのか調べよう」→「こういう工夫をしたら、もっと費用を減らせるのでは?」っていう建設的な議論につながるでしょ。

 

ー抜粋ここまでー

 

相も変わらず、ぐうの音もでないほどのド正論である。コストの話になれば、コンパクトシティの話になるのは明白である。

んが、私はそれはあんまり好きじゃないんです!だって田舎が好きなんだもん!

いやいやそれにちょっと待て、冷静になれ。同氏はあくまで「世の中で「問題だ! 問題だ!」と言われてても、何が問題なのかぜんぜん分からないコト」の一例としてこの問題を掲げただけで、そこまで細かい事情を調べたわけではないはず。

だから、めげずにもう少し問題を深く考えてみることにしよう。

ちりきん氏の曰く、限界集落の真の問題点は、

限界集落は維持費が高すぎて、限界集落に住んでない人の税金が高すぎて大変な問題」

と述べている。全くその通りなのだが、ここにもう少し多角的に何が問題かを考えてみる。

国益の観点からいうと、この問題は

限界集落および周辺の農地が持つ多面的機能が喪失する問題

限界集落周辺の農地が持つ食料自給力が喪失する問題

である。まあ、これらは所詮行政の主張にすぎない面もあるが、だからといって無下にもできますまい。

まず、①限界集落および周辺の農地が持つ多面的機能が喪失する問題 について解説すると。

農村の多面的機能のうち、重要な物は

A.大雨の際に、水田等が一時的に小さなため池の役割をすることで、河川に大量の水が押し寄せることを防いでいる→洪水調節機能(3.5兆円/年)

B.営農の一環として、農地が崩れたりしないように、農家が点検・補修を定期的に行うため、それが大規模な土砂災害を防いでいる。→土砂崩れ防止機能(0.5兆円/年)

C.水田等において湛水を行うため、地下に浸透する水量が増え、下流地域で利用できる地下水の量が増大する→地下水涵養機能(500億円/年、ただしあくまでも代わりにに必要な上水に要する費用で算出)

である。他にもいろいろ機能を列挙されているが、どうもわかりにくく、でっち上げ臭いため、いくらでも論破されそうなのでこのくらいにしておく。いずれもこれらを公共投資で代替しようとすると、莫大な費用が発生したり、そもそも公共事業では不可能なものである。

 

 次に②限界集落周辺の農地が持つ食料自給率が喪失する問題 についてだが、

これは、食料安全保障問題に関係する。すなわち、世界的に人口が増加の一途をたどる中で、もし世界的な不作が起こり、日本への食料輸出がなくなった場合、現在食料自給率がカロリーベースで40%しかない日本では、飢餓状態に陥る可能性が高いということである。日本では、輸入する食品と比較したときに、重量ベースでその1/3ほどを廃棄しているが、それを勘案しても、重量=カロリーとして単純計算すると、自給率は60%にとどまる。

さらに、農水省では有事の際に現在の農地面積でカロリー最優先で食料生産を行えば、最悪ギリギリのラインで食料を自給できるとしているが、日本の農地面積の4割は中山間にあり、その影響力は絶大であるため、限界集落を考えなしに切り捨てていては、この計算は成立しなくなる。また、農地の条件によって作れる作物と作れない作物があるため、そもそもこの試算は成り立たない恐れもある。やはり限界集落の周辺の農地であっても、できる限り守る必要がある。

 

限界集落の問題は国益の観点から、以上のように言い換えることができた。

逆に言うと、①多面的機能が必要とされない地域(=下流に誰も住まない地域)なおかつ、②食料自給力に影響を及ぼさない範囲であれば、国益の観点からも必要性がないため、自然に、あるいは自主的に消滅する分には問題ないことになる。

さらに極論を言うと、今あげたのはあくまでも「農地」の必要性であり、「農村」の必要性ではないため、他の地域から通作することが容易であれば、農地あってそこに人が住む必要はない。ということになる。事実、私は人は誰も住んでいないが、周辺地域の方々が耕作を行っている地区というのを目にしたことがある。結構な不便を強いられているようだが、みんなそれなりに自信を持ってそれを行っているようであった。

 

さて、ここまでの議論をまとめると、必要な農村はコスト構造を見なおしつつ、なんとか持続する支援をしましょう。でも、必要ないなら農村そのもの自然になくなっていいし、別に集落に人が住まなくていいよ、税金がもったいないし。ということになる。

 

んが、私個人的にはこの結論には納得したくないので、さらに抵抗してみる。

そのために、ここでは限界集落に住む人の立場から限界集落問題を考えてみよう。

ちきりん氏もおっしゃられる通り、限界集落に住む人は『「たとえ不便でも、死ぬまでココに住み続けたい!」っていう強い意志がある』のである。この強い意思の厳選になっているのは、先祖代々引き継がれ、なおかつ自分も生まれ育った土地に対する思い入れ、つまり「先人から連続する思い出」である。この問題は住むひと側からすればこう言い換えられるだろう

「先人からの連続する思い出、すなわち歴史、伝統、文化の喪失する問題」

である。実は農水省のいう多面的機能のなかにも、しれっと位置づけられている。一見重要度が低い気もするが、住んでいる側の人からすると、おそらくその問題がほぼすべてであろう。

集落や地域から人がいなくなる際に、その地域の歴史、伝統、文化を記録として残せば、幾分住んだ人の気持ちも浮かばれることだろう。石碑なんかもたてちゃったりして。でも、住民が望むこの問題の最も理想的なゴールは、地域の歴史、伝統、文化が生きた物として、後世まで受け継がれることである。

それを成し遂げるためには、何が必要か?

それは市場の原理に打ち勝つことのみである。農地の条件を整備し、少しでも収益が増える戦略を練ると同時に、その地域の魅力を自ら気づき、発信し、とにかく少しでも多くの交流人口、定住人口を増やし、いつくるかよくわからん食料危機まで、なんとかリレーをつなぎ、農地を守り抜く。これしかないんじゃないでしょうか?

 

なんか途中から、限界集落の問題と自治体消滅の問題がごっちゃになったところもありますが、スケールが違うだけで本質は大して変わらんでしょう。

ひょっとしたら何もしなくても、4、5年で食料危機が来て、食料需要が激増するかもしれんし、国が国債を馬鹿のように発行しながら助けてくれるかもしれないけど、まあそれよりは何かした方が、きっと楽しいんじゃないかなー。

って思いました。

 

あ、移民で全部一発で解決しそうやね。最近東南アジア大好きだから、あの辺の国だったら移民大歓迎ですわ。