【考え事】「男女平等の世界」の最終的な仮想敵は「私」ではなかろうか?

「男女平等の世界」の最終的な仮想敵はひょっとして、私のような人間なのではなかろうか?

 

 

news.yahoo.co.jp

 

この記事は、『「女性の活躍」「女性の時代」なんて触れ込みはいらない、そんな特別扱いされなくても、私は私として自己実現をする』という、趣旨の企業広告が、賛否両論になっていることに対するジャーナリスト治部れんげ氏の意見記事である。

 

この記事の中で、

 

「産むまでの平等」「本気で男性とポスト争いするまでの平等」という現実

 

という言葉が出てくるのだが、このフレーズが素晴らしく現在の女性社会の現実を表しているなと思ったのである。

 

というのも、現在自分の職場は、大体男女比が半々、そして年齢層も様々なバラエティに富んだ環境なのであるが、今年度はその比較的若手の女性2人が、出産のため長期休暇を取ることとなったのだ。

 

 

そして、その穴埋めはだれがやったかというと、私などの若手男性職員なのである。

 

特に私は独身で、いくらでも仕事をする時間があり、これまでの経歴からそれなりにスキルを積んできているうえに、特にこれまでの短い仕事人生の中で明らかに他人に後れを取ったというようなこともない(と思う)。

 

しかしながらいつも隣にいて、何となく知っていた隣人の業務内容とは言え、いざ自分でやってみるとなれば、やってみて初めてわかる苦労などもあり、それなりに大変だった。

 

それでも全然問題はない。だって、私にはケアすべき家族もおらず、いざとなれば体力の許す限り、時間を仕事に捧げることができるのだから。

  

つまり、この女性職員の代わりに仕事を請け負うという過程を通して、私はさらに自分のスキルを底上げし、周囲からの信頼を集めてしまう行動をとっていたのだ。

 

もちろん、その間に妊娠、出産、子育てを経験する、ということは男性にはなかなか体験が難しい、代えがたい経験なのだろうし、それから得られるものの中で仕事に役立てることができるものもあるだろう。

 

が、それはあくまでも個人での話であって、組織においての信頼関係というところまで含めると、間違いなく一緒に苦労した人間のほうが、信頼のおける人間ということになるだろう。

 

こうして、私は何の悪気もないままに、会社組織における「男女平等の世界」を遠ざけているのだと思う。男が子供を産む機能がない、ということが、会社社会と組み合わさることによってこういう結果を生んでしまうのだ。

 

翻って、

 

「産むまでの平等」「本気で男性とポスト争いするまでの平等」という現実

 

という言葉を改めてみてみよう。

 

子供を宿し、産休をとってから、それからもどうしても子供の子育て等で仕事にフルに時間をさける割合は減っていくだろう。子育ての負担を男性と例え等分にしたととしても、物理的な妊娠、出産の期間は行動が制約される。

 

その間独身貴族の「私」が何をしているか、というともちろん仕事は他人の分まで頑張っているし、下手をすれば休日にも、ビジネス本を読んでその感想をブログに落とし込んだり、旅先で仕事に関連する分野の見識を深めたりと、仕事まがいの行為を繰り返し、無駄にスキルを向上させているのである。

そして、上司から飲み会の誘いがあれば、すぐにかけつける(嫌いな上司は除く)。

 

時間の制約があると、無駄にダラダラしてしまうというのはあるのかもしれないが、改善の基礎を学べば効率はその心理的油断を上回って向上するだろう(趣味的な無駄な仕事をしてしまうことは否定しない)。

 

果たして会社組織においてこういう人間と、子供2人を生みながら育てる女性が公平な出世競争を繰り広げることができるだろうか??

 

 

ということを考えると、会社組織のような社会構造の中で、最後の障壁になるのは「男女平等の世界」私のような、「生活にほとんどエネルギーを割かない仕事人間(男)」なのではないでしょうか??

 

子供を産まず、「生活にほとんどエネルギーを割かない仕事人間(女)」なら、これに対抗しうるわけですが、それはそれで出産によるハンデを社会が克服したとは言えず、本質的に組織にもたらす多様性は今一つ乏しいままです。

 

かといって、仕事人間に仕事をするなというのも無理でしょう。

 

ゆえに、会社的な組織において「男女平等」に向き合うためには、「仕事人間」と「そうでない人間」のバランスをどうするか、ということを組織で考えなければならないのではないでしょうか。

 

 

今回、「仕事人間」という軸を持ち出しましたが、今後、仕事と生活が今後どんどん混然としていく「ワークアズライフ」の時代になるという落合さんの話もあります。

 

仕事と生活のバランスが変化していく中で、「男女平等」どう変化していくかも気になるところです。