保険の営業から学ぶ、マニュアルと経験について

私は生命保険みたいな後ろ向きの投資が大っ嫌いです。

 

特に私のような独身貴族にとって、病気になったり、障害を持ったりしたとしても、基本的に自分以外誰も困らない。

 

なので、そういうことに投資するくらいなら、そもそもどうしたら病気にならないか?どうしたら事故を減らせるか?といったことに投資するほうが、効力感が得られて気分が前向きになるような気がする。

 

たとえば、がんの最先端の研究に取り組んでいる科学者や、事故を引き起こさない自動車を開発しているエンジニアを応援する、なんてことができれば素敵ではないか?

 

保険の営業いうと、いたずらに病気や怪我をするリスクばかりを強調して、不安をあおっているくらいしか方法がないからね。

 

というか、たとえ保険に入ったとしても、怪我や病気で体が動かなくなるメリットなんて全くないのだから、保険に入ろうが入るまいが、全力で健康を維持することに注力することに変わりはないんです。

 

 

とは言ったものの、保険嫌いだとひとつ困ったことがある。

それは、「保険の営業の女の子と仲良くなれない」ということである。

 

保険は大嫌い、でも若い女の子は大好き!

 

この二律背反が私の中にゆがんだ感情を生み出すのだ。

 

具体的にどういうことかというと、保険の女の子がフロアをうろつき始めると、ちょっとかまってほしそうにそわそわするけど、いざ保険の話を聞いてるとだんだんイライラしてくる。

 

そうすると、保険の女の子は距離を置くようになるが、それはそれでやっぱり少しかまってほしい。

 

という、超絶面倒くさい顧客の出来上がりである。

 

 

ちなみに、保険の女の子に興味があるのはもうひとつ理由がある。

 

「マニュアル」である。

 

3年内の離職率が8割とも言われるこの業界で、新人にノウハウを叩き込むにはこれが必須であるはず。

 

逆に定年まで働くのが当然の職場では、「何事も経験」という言葉が多く使われると思う。

 

私の職場は後者の傾向がとても強い職場で、身の回りの上司がこの言葉を使うのをよく耳にする。

 

確かに経験は大事。けどね、本当にそれってマニュアル化できないことなの?

 

って、すごく思う。仕事をする上で、どういう経験をつむことができるか、というのはたまたまどういう仕事にめぐり合ったか?ということに規定される。

 

ということは、自分でスキルアップに運要素が絡むということだ。

 

それに、「いい経験」とは、大体の場合「失敗から学ぶ」ということだと思う。失敗自体は悪いことではないのだが、たまたまその失敗に巻き込まれた無関係の顧客からすると、いくらか釈然としない。

 

「失敗から学ぶ」ことが「いい経験」になるのは、自分の行動と、結果の因果関係を強烈な刺激つきで体感できるということだが、それとて失敗経験をきちんとリアリティのある記録として、共有できればわざわざ失敗する必要もない。

 

「何事も経験」

 

というと、なんとも含蓄に富んだ表現だが、本当にそうなのか?

単に経験を知識レベルまで一般化することに失敗しているだけではないのか?

 

 簡単に経験という言葉に逃げないようにしたいものである。

 

普段からそんなことを考えていることもあって、彼女らがどんな育成制度やマニュアルを基に成長していっているのかとても興味があるのだ。

 

ちなみに、保険の女の子に保険の不要であることについて理屈付けて説明していると、ある一定のラインから、保険の女の子からえらく褒められるようになる。

 

たぶん営業マニュアルに、私のような変に理屈っぽい顧客に対してはこう対応しろと書いてあるに違いない。

 

「おだてて調子に乗せろ」

 

褒められるのはやっぱり悪くないものである。