冬のイルクーツク、バイカルツアー(2018.2) その7 街ブラ編
かくして、ロシア人夫婦と、ガイドと別れを告げた我々3人だったが、時間はまだ夕方6時過ぎ。
これから、深夜のフライトまで、シベリアのパリと呼ばれるイルクーツクの街中で時間をつぶすことになる。
お別れの地点にあった、氷像。サンタクロースらしい。
なんでも、ロシアのローカル設定では、サンタの孫娘がプレゼント配りを手伝ってくれるという設定のようだ。
永遠の火
かの独ソ戦では、イルクーツクの兵士も多数なくなったそうだ。そういう戦没者の追悼の意味のモニュメント。
炎がゆらゆらと揺らめくのではなく、完全にガスバーナーのそれである。
ガスの供給源があるようで、かなり本当に化石燃料が枯渇しない限りは永遠に消えなさそうな勢いで燃えている。
あとは、超駆け足で街を練り歩く。なんせ日没過ぎると、何も見れなくなるかからね。
結構街の中心部には、教会やら記念碑やら、見るべきものがたくさんあって、短時間でいろんなものが見れた。
もう解説もロクすっぽ読んでないけど、単純に建物の美しさに感心したものであった。
今回は、行く先々で月がいい感じの演出を添えてくれる。
街の街灯なんかも、結構おしゃれな感じを演出していた。
そしてアンガラ川。でかい。バイカル湖はカチコチに凍ってて、水はほとんどが湧出する地下水と考えられるが、それでこの水量はすごい。雪解けの季節は、どれくらいの流量になるのだろうか?
そして、この河がまだ北極海まであと何千キロという距離を流れるのかと思うと、果てしない。
なんか、公園みたいな場所もあった(全体、駆け足過ぎて「なんか」が異様に多い)。
氷像が飾ってあるほかに、ブロンズ像も飾ってあったんだけど、ひとつものすごく気になるものを見つけた。
そう、見ざる、言わざる、聞かざるである。
これが、解説もなく、唐突に現れるのがとても不思議である。
ただし、この三猿は世界各国にまれに見られるそうで、シルクロードを通って、中国を経由して日本にも伝わったものとのことだ。
No-Evil-Monkeys Collections on the internet
イルクーツクも、中国とロシアの間の縦の交通の要衝だったわけで、なんらかのいきさつで浸透しているのかもしれないし、ただ単にこれを作ったクリエーターがミーハーだっただけかもしれない。
それから、街の中を新しくできたらしい、観光街みたいなところを抜けて、大きなショッピングモールにいたる。
なかなか、綺麗なショッピングモール。
ここであまったルーブルをお土産にして帰る。
帰りにタクシーを捕まえようとする。幸いにして、このあたりはそれなりにタクシーが居るようで、ほどなく見つかった。
タクシーにはこれまたザンギエフのようにいかつい運転手が乗っている。
と伝えると、『遠すぎだろ、絶対ヤダ!』みたいなリアクション
あ、乗車拒否か?
と思った瞬間、『嘘だよ、乗れ!』ってまた素振りで。
なんや、お茶目なおっちゃんかい!
と思って乗り込む。観光客相手には、ぼったくられると事前にガイドに聞いていたので、最初に料金交渉する。
相手から示された価格は300ルーブル。
タクシーを手配するアプリで、相場価格が150ルーブルであることは分かっていたので、まあ割高ではあるがそもそものタクシー代がロシアは安すぎなので、まあいいかと乗り込む。
タクシーに乗り込み、ドアを勢いよく閉めてほっと一息つきかけたら、なんかめっちゃ『おいなにやってんだ』みたいなリアクション。
うわ、やっちまったかと思い、とりあえず「イズヴィニチェ(ごめんなさい)」を連呼!
さあ、どう来るか...。
と、思ったら
「おまえら600ルーブルだ!!」
結局ぼったくられるんかーい!
と、思ったら、また『冗談だよ』みたいなリアクション。
本当に、とことんおちゃめなおっちゃんらしい。
だた、ザンギエフみたいな体格してる人が、そういう冗談いうと心臓に悪いからやめてほしい。
その後、運転自体はいたって安全で、特に回り道とかされることなく、無事に空港に到着。
友人Bはこの自由奔放なおっちゃんが痛く気に入ったらしく、チップも含めて500ルーブルを渡して、その代わりに記念写真を撮らせてもらった。
おっちゃんは、めちゃくちゃ喜んでくれて、助手席に座ってた私と熱いハグを交わしてくれた。
ここに掲載できないのは残念だけど、そのときの写真はとてもいい出来だ。
いつもコニャックをくれた、ロシア人の旦那も、このタクシー運転手も自由奔放でとてもお茶目である。
さてさて、このたびもいよいよ終わりを迎えるときが来たようである。
閑話休題 継続の大切さ
とうぜん、旅の記録は家に帰ってから、思い出しながら書いているので、今は日本にいるわけです。
マイナス17℃の真冬の世界から帰ってきたら、一気に春になっていました。
旅の疲れか、春の眠気か、やたらと睡眠時間が長い日々が続いてましたが、今日は元気に残業できました(白目)。
そういえば、地震の前に職場でショートカットキーに関するスキルの普及を目指して、自主的に勉強会なぞをしてたのですが、地震も落ち着いてきたので、再開することにしました。
間が空いてしまって、活動の認知度も下がってしまっただろうし、かなり踏み出すのにMPを消費しましたが、いざ募集をかけてみると、あっという間に定員を超える参加申し込みがあり、とても嬉しかったです。
せっかくの皆さんのご希望に添えるような、研修をしなければ…。
ショートカットと言えば、正月明けに職場から帰るときに、一見何も生えてない植え込みを通ってショートカットしようとしたら、つまづいて転びそうになった小さな小さな切り株は、あれからも何回もつまづいて転びかけることを繰り返した結果、ついに地面に出てる部分が折れてつまづかなくなりました。
何事も継続が大事です。
冬のイルクーツク、バイカルツアー(2018.2) その6 文化交流編
さて、オリホン島の国立自然公園にて、シベリアの真珠とはいったい何たるかを知った我々だったが、フジュル村への帰路にてロシアンサウナ、バーニャのオプションをつけるやつけざるやという話になった。
料金は1000ルーブルと追加の車代300ルーブルくらいだったか?
フジュル村のロッジはシャワーしかなかったので、じゃあ疲れを取るためにいっちょやってみっかということで話を聞いていると、なんかバイカル湖にダイブするとか物騒な話が聞こえてくる。
なんでサウナに入ることと、バイカル湖に飛び込むことが同時に話に出るのがよく理解できないで居る私。
いやいや、いくら水中は0度未満にはならんとはいえ、さすがに冗談やろ。
と思っていたが、どうにも本気らしく、道中の車中でまた、「これで景気づけしな!」的な感じでコニャックを渡される。
いや、ロシアンサウナのロシアンって、罰ゲームで負けた奴がバイカル湖に飛び込むみたいな、ロシアンルーレット的な意味合いでもロシアンなの?
と、思っていたが現地について理解した。
いや、馬鹿だろ笑
イッテQかよ!!
てか、そもそもサウナが氷の上に立ってるし、これ毎年解体して組み立ててを繰り返してるのかよ!
相変わらず、すげーDIY能力だ。
氷の中のサウナに入ってみると、薪のストーブがしゅうしゅうと熱を発していた。
これに、水を加えることで、一気に暑い蒸気が室内に充満しスチームサウナ状態になるようだ。
同行のロシア人の奥様から内部の写真撮影はNGが出たので内部の写真がないのが残念だが、サウナ自体はなかなか乙なものだった(最後に出るときにとっておけばよかった。)。
要は、ここのサウナであったまった体を、バイカル湖の水に飛び込んで一気に冷やすということらしい。
理解したけど、理解したけど、マジかよ。
みんな水着なんて用意していないので、下着でサウナに入る。よく説明していなかったが、ロシア人嫁は、年としては31歳の私たちよりも少し年上くらいだろうか?
まあ、なんちゃ普通に美人なんだが、自然と下着になって俺らと一緒にサウナに入る。
なんかそういう文化をテレビあたりで見たことあったが、ほんとうに女性の羞恥心というのが文化次第で異なるのも面白い。
ロシア人は女性が強いという話はたまに聞くところであるが、そういうのも関係しているのかもしれない。
さて、サウナに入ってしばし経つとなるほど、体が結構火照ってくる。
なんか、ちょっと飛び込んでもいいかな?という気持ちにもなってくる。
で、ロシア人の諸兄が、次々とサウナから飛び出してダイブしてくるのを見て、ついに私も決心がついた。
ドアを開けて一気に水中に飛び込む!
飛び込んだ後は、なんかもうよく覚えてない。穴の中は意外と浅く、(1mちょいくらいか)すぐに足がつく。
混沌とした意識の中で、「あ、意外と砂地なんだ」というのが一瞬頭によぎる以外はとにかく「無」である。体が芯から冷える前に、必死であがって、またサウナに戻る。
サウナに戻ると、その暑さがとても心地よく、体の芯に残っている熱と、皮膚の内側にある水の冷たさと、またその外側の熱が折り重なるような感覚を覚える。
なんだろう、むかししもやけになったときに冷たい水とお湯に交互に足を浸して、血行をよくしていたのを思い出した。
一回、やってしまえばなんということはない。確かにこれで長時間サウナに漬かってられる。
ちょっと余裕が出てきたので、防水カメラでバイカル湖の水中写真なんかをとったりもした。これが、決死のダイブで撮影した貴重な氷の下の画像である。
なんか、とても綺麗そうなのはなんとなく、お分かりいただけただろうか?
バイカル湖は世界一の透明度を誇るといわれているが、実際にその透明度を視覚的に実感できる写真とかはあまりなく、ましてや真冬に水中写真を撮った奴はほとんどおらんだろう。
私自身水中眼鏡をしていたわけではないので、写真で見てなるほどやっぱり綺麗なんだなと納得。
水中で目を開けていたのだけど、後で目がひりひりすることもなく、水質は確かなようである。
今度来ることがあれば、シュノーケルと水中眼鏡の持参も忘れないようにしたい。
そんなことを何回か繰り返すうちに、他の中国人ツアー観光客が冷やかしにやってくる。
なんか「はよ飛び込め」みたいな雰囲気で、外で待っている。
こんな素人のバラエティ企画みたいなモン見て何が面白いのやらと思いつつ、それでもギャラリーがいるとこっちの気分も乗ってくる。
友人Bなんかは、その有り余った運動神経を活かしてとんぼ返りを打ちながら飛び込んだりもした。
サウナの中で、ガイドやロシア人夫妻と話す中で、「「外で見てる連中はただのツーリスト、でもこれで君らもロシア人だ!」」と言われ、ふいにめっちゃ嬉しくなる。
ああ、これがグローカルな体験か、本当にすばらしい限りだ。
日中の感動的な風景と、コミュニティに受け入れられるという、感動的な体験が折り重なって、とても暖かい気分になってサウナを出た。
これまでも、ロシア人夫婦やガイドとはぼちぼち仲良くしてきたが、この体験の後にこのメンバーの中は一層深まったと思う。
翌朝、食事を取りながら、ちょっとばかり文化交流ができればと思って持ち寄った、折り紙で鶴を折って渡す。あと、日本から持ってきた筆ペンで「鶴」と漢字で買いて渡す。筆ペンそのものもロシア人旦那にお土産として渡した。
正直、もうありきたりだろとも思ったが、日本から遠く離れた黒海のほとりに住む二人にとっては十分珍しかったらしく、たいそう喜んでくれた。
帰りの車の中で、軽く涙腺を緩めつつ、島での体験を反芻するのであった。
惜しみつつ、3人のロシア人と3人の日本人は別れを告げる。
ほんの3日ほどの短いたびだったが、本当に感動的な体験だった。
心からそう思えた。
もうコニャックは飲んでいないけど、なんだか体の奥に暖かいなにかを感じた。
ここからは飛行機の出る時間まで、イルクーツクの市内探検である。
さてさて、何が待っているのだろうか??
冬のイルクーツク、バイカルツアー(2018.2) その5 シベリアの真珠編
さて、昨日すでにバイカル湖の氷は堪能しつくした気でいた一行であるが、今日はどんなものが見れるのだろうか?
フジュル村の目覚めを見守ったあと、ロシアンジープ、ワズに乗り込み、一行は島の北部の国立自然公園区域へ。
これまでの荒野とは打って変わって、タイガの森の中をジープは進む。
フジュル村までも道はかなりひどかったが、ここはさらにやばい。
揺れのひどさに頭をぶつけるほどだ。
友人Aはすっかり車酔いになってしまった。
うってかわって、ロシア人夫婦はケロッとしている。
なんでも、彼らの住むソチはもっとすごいらしい。そんな道を旦那が1986年に自力
で作ったワズで旅行するそうだ。
そんな我々を気遣ってか、旦那のリトは自分のコニャックをみんなに飲ませてくれた。
てか、本当にいつも酒飲んでるんだな。
でも、アルコールの火照る感じが喉の奥に広がるのは、まるで暖かいお茶を飲んでいるようでなかなかいい気分だ。
そうこうしているうちに最初のビューポイントに到着。
一面に広がるせりあがった氷や
石灰石のカーテンのようなツララ
シャンデリアのように透明なツララ
昨日に比べても断然美しい景色をたくさん見ることができた。
ただ、写真に写っているとおり、他の観光客(主は中国人)も結構いる。
「もっといい場所があるから、そっちに先回りしよう」
ガイドの提案に乗り、先を急ぐことに。
でも正直なところ、ここでの時間はもう少し欲しかったとこのときは思っていた。
そしてまたジープは、タイガの中を突き進む。
植生は松のような針葉樹林で、森の中には松ぼっくりも落ちていた。
そして、さっきから写真にあるとおり、このあたりはまた雪が降るようだ。
何度も言うとおり、この島は奄美大島くらいのサイズの島なんだが、その島の中で気候がコロコロ変わるのは面白いと思う。
今思えば、雪が降るから冬でも地温が保たれるし、夏には水分も十分に供給されるはず。その結果森があるのかもしれない。
そう、1つこの旅に難点をつけるとすれば、それはトイレだ。
ここは自然公園で、文明らしいものはおおよそない。
もちろんそれはトイレも同じで、ほとんど掘っ立て小屋の中にある穴が開いただけのぼっとん便所見たいなところで用を足さなければならない。
小はまだいいけど、大をする場合や女性の場合は、その穴をまたがねばならず、結構怖いし、回りも汚れているので不潔である。
かといって、その辺で用を足されてしまえば、寒さで分解されることはないのでそれは次の春までそのまんま。
そして、それなのに寒さでトイレが近くなる罠。
まあ、ここは本当にすばらしいところだし、それくらいのハードルはあってもいいのかもしれない。
さておき、ガイドが最初のビューポイントをさっさと切り上げてでも早く行きたがった場所とは、どんな場所なんだろうか?
途中荒波がそのまま固まったような、荒々しい風景の場所にも止まったが、そこそこもすぐに出発してしまった。
それからまたしばらく車は、でこぼこ道や氷の上を走り続け、そして島の北端でとまる。
もうこれは、あれだ、俺は別に世界中を旅してきたわけじゃないし、むしろ海外のことについて大して詳しいわけじゃないけど、これはもういいだろ。
唯一無二だわ。
この世界にこんな景色、他にないだろ。
世界一の透明度と、世界一の水量を誇る水が生み出す景色。
ここからはあんまり説明は要らないと思うので、写真を中心にしよう
アップする写真を選んでいて気がついた。これは、キリがない。
なぜなら、この写真の一枚一枚に違う美しさがあり、どれが一番なんて比べることができないのだ。
同じ場所を写した写真ですらも、角度がちょっと変わるだけで、光の反射や氷のヒビの重なり方が変わり、別の美しさが現れる。
うっかり、今なら死んでもいい、むしろここで死にたいと思いそうになるほどだった。
ここに来る前、バイカル湖のことをネットで調べていて、もちろんすばらしい写真が出てくるのだが、私はそれは腕のいいカメラマンが、ベストコンディションのときに、それらしく映るスキルを駆使して、なおかつちょっと加工してこの絵が得られるものだと思っていて、正直本当に自分がそういう景色に出会うことができるとは思っていなかった。
ただ、実際のところは、自分の頭では想像すらできないほどの美しい景色が広がっていたのだ。
本当に、ただ無数の命の中のただ1つである、この体が、こんなすばらしい世界を感じることが許されるのかと思った。
平たく言うと、生まれてきてよかったと思った。
その後も、後何箇所かポイントを回ったと思う。
目に映るものだけではなく、磨き上げられた大理石のような氷の感触、氷の破片を踏みしめるときの軽いガラスが触れ合うような音、穏やかな風が吹く冷たい空気。
すべてが本当に心地よかった。
美しいという気持ちは、人間が直感的に資源を見抜くために遺伝子に与えられた仕組みなんだと思う。
だから、透明な水、新緑の緑、一面に広がる頭を垂れた稲穂、そんなものを美しいと思うのだと思う。
でも、生き物が住むのには決して適しているとはいえない、この景色をなぜこんなに美しく感じるのか?
たぶん、一生考えても分からないと思う。
冬のイルクーツク、バイカルツアー(2018.2) その4 オリホン島上陸編
かくして、ついにバイカル湖に足を踏み入れることになった一行。
これまで通ってきた、きちんと舗装された道から、湖に降りるオフロードの道を下る。
ここから、氷の道だ。
周りにはスケートを楽しむ人もいる。
ガイド曰く、ここからは万一のとき、すぐに脱出できるよう、法律でシートベルトをはずすようになっているそうだ。
そんなことにならないことを祈るばかり。
氷の上に、標識が立っている。
これは毎年わざわざ、設置と撤去を繰り返しているのだろうか?
最短コースを行くのかと思いきや、少し回り道をしている。
どうも場所によっては、氷のもろい場所なんかもあるみたいだ。
そういうことも経験的に分かってきたことなんだろうけど、それまでどれだけの車が犠牲になったことだろうか?
ほどなくして雪がないところに到着し、ガイドが車を止めた。
これが、
半年間、あこがれ続けた氷の世界。
ようやく、憧れた氷の上に立つことができたのだ。本当に感激である。
モスクワに住んでいたロシア人でも、これほどの氷は珍しいらしく、我々と同じように感激していた。
しかし、時はもう夕方、最終的な目的地まではだいぶ距離があるので、感動はほどほどにしておいて先を急ぐことに。
バイカル湖の中の島、オリホン島に到着。5,6キロは雪の上を走っただろうか?
たどり着いた島の上り口はオフロードで、早速車がスタックしてしまう。
重量を減らすために、ガイドだけで再チャレンジして何とか突破。
これから、こんな感じのオフロードをひたすら突き進むことになる。
島の風景もそれはそれで面白かった。
なんだか、この島周辺は雪が少ないようである。
雪が積もっているように見える部分も、よく見てみると分厚い霜のようだ。
その証拠に、土の粒子と交じり合って、色が少し茶色がかっている。
乗っかると、雪のようにつぶれるのではなく、サクッと音を立てて割れる。
全体として、枯れ草と霜が混じったようなベージュ色の景色が続く。本当に雪はほとんど積もっていない。それはそれで雄大な景色だ。
奄美大島とちょうど同じくらいのサイズの島らしいが、なんというか島っぽさがない。
途中、1つだけヤルガという村があることになっていたが、
実際に通り過ぎると、そこは本当に数えるほどの家がこじんまりとまとまっており、これがドラクエならば、村の入り口に
「ここはヤルガ村、なにもない小さな村さ」
という台詞しかしゃべらない村人がいそうである。
それからさらにどれくらい走っただろう、車のゆれにそろそろ飽き始めたころに島の中心部にあるフジュル村に到着。
何とか日没には間に合った。ガイドが夕日スポットに案内してくれた。
ここは、シャーマン岩と言うらしい。解説は他の観光ガイド等の記事に詳しいので割愛したい。
夕陽に映える氷の湖も感動した。
写真でみて分かるとおり、この時点で氷がせりあがる「おみわたり」もあり、なんだかすでに満たされた気分になりかけていた。
波も凍っている。といっても、波が瞬間的に凍ったのではなく、最初に凍った氷にかぶさるように次の波がかぶさり、また凍ってを繰り返して徐々に凍ったものと推測される。
でも、その結果、波がそのまま凍ったような形になるのは、当たり前のことのような不思議なことのような。
本当に今日は天気がよく、綺麗な夕陽も見ることができた。
天気予報では、曇りのち晴れみたいな感じだったので、雲ひとつない晴天に出会うことができたのは本当に幸運だったと思う。
シャーマン岩の上の澄んだ空には、半月が昇っていた。
そう、ガイドに門限は日没の6時23分までといわれていた。
気がついたら、時間ぎりぎりである。日本人の面子が掛かっているので、3人でダッシュで車に戻る。
到着時刻は、6時23分ちょうど!ガイドにさすが日本人、時間に正確だとのお言葉をいただく。
普段、日本のことぼろかすに言ってるけど、海外にでるとやっぱり日本人としての美徳は守らんといかんという謎の正義感に駆られる笑。
夕飯の後、買い物に外に出てみると、月の周りに薄いワッカが。
明日は、一日オリホン島とバイカル湖を堪能します。
冬のイルクーツク、バイカルツアー(2018.2) その3 シベリア大雪原編
かくして、バイカル湖ツアーの一日目を迎えた。
ホステルブラボーの小さなベッドはかなりきしんだが、マットレスがふかふかで快適な睡眠をとることができた。
朝10時、ホステルにてツアーに一緒に行くロシア人の夫婦と合流。
ガイドの運転する日本車に乗り込み、一路バイカル湖へ。
地図で見る限り、イルクーツクから北上した後、ひたすら300キロくらい東へとシベリアの大地を突っ切るという行程。
これは、なかなか退屈そうな行程である。
と、思っていたのだが、ひたすら広がる白銀の大地の中、一筋の道路が駆け抜ける様はとても壮観だった。
友人Bいわく、大陸は基本的に古い山なのである、であれば長い時間をかけて雨や風で長い時間浸食されて、なだらかな平野地帯が形成されるのだそうだ。
日本のような新期造山帯に住むわれわれからすると、とても珍しい風景である。
ロシア人奥さんのケート曰く、晴れている日はいいんだけど、曇っているととても陰鬱な気分になるんだよねとのこと。
このご婦人は、昔はモスクワに住んでいたそうだけど、とにかく日照時間が短く、太陽に憧れて、黒海沿岸のソチに引っ越したのだそうだ。
夏のバイカル湖はリゾート地としてとても人気とのことであるが、それはこの地域がロシアでもっとも日照時間が長いからだそうだ。
私たちも常夏の沖縄や、ハワイにあこがれるのとおんなじで、人間は太陽を求めているのかなーっと思った。
で、この途方のない土地、雪が積もってないときはなんに使われているの??
ガイドのマキシム氏曰く、キャベツやビーツの畑になるんだそうだ。
そういえば、道端に小さな飛行場があったが、あれは農業用の飛行機だったのではないかと思った。
ほんとに、途方もなく広い農地である。
あとは、放牧もしているそうだ。
牛はともかく、馬もいる。歴史にもモンゴルの馬は小さいと聞いているが、みたところ人間と同じくらいのサイズなんではないだろうか?
馬は食べるのではなく、放牧のときに広大な牧場を移動するのに使ったり、観光用に使ったりしているみたいだ。
途中途中に現れる街で休憩を挟みつつ、バイカル湖を目指す。
日本のように人が隙間なく住んでいる国では「地名」というのは、人が住むエリアを区分する概念だが、このあたりでは本当に地図上に地名が示されている場所以外には誰も住んでいない。
まるでドラクエの街のように、誰も住んでいない原野が何十キロも続いたのち、突如人が住む町が現れる。街の概念が違うのだなと考えさせられる。
丘を越えて遠くに街が街が見えると、ドラクエで新しい街を見つけたときのようにわくわくする。
バイカル湖に近づくと、徐々に道は曲がりくねった山道になる。
といっても、日本の道のような九十九折ではなく、緩やかなカーブが続く程度ではあるが。
とあるロードサイドのレストランは、アジア系の観光客で一杯だったので、そこをスキップして、バイカル湖に程近い街の「ユルタ」というモンゴルのゲル風のカフェで昼食。というか、「ユルタ」というのが、ゲルのことをさしているらしい。
料理に関して言えば、ここで食べたものが一番おいしかった気がする。
羊肉のボルシチなんかは、いかにもロシアとモンゴルの折衷料理みたいでよかった。
そして、このボール一杯に肉と野菜がたくさん入ったボルシチが1杯100ルーブルはお得。
モンゴル風餃子のブージィ(って読んだけどもボーズってよぶのが一般的らしい)も腹にたまるうえに、おいしい。
そして、このブージィってのは、餃子の中国語読みのバオズがなまった感じなんだな。
なるほど、そこまではつながっているのに、なぜロシアに言った瞬間ペリメニって名前になるのか不思議ではある。
職場の先輩曰く、かつて大学のロシア語の先生が、中国の餃子はロシアのペリメニが起源と主張してたって話も聞いたけど、本当のところはなんともわかならないみたいだ。
そうそう、モンゴルティー的な奴も頼んだ。
市販の粉末をお湯に溶かすだけのものだったが、これが日本のスキムミルクなんかよりも俄然おいしかった。
その後、スーパーなどで売ってないか探してみたが、残念ながら見つからなかった。
というか、一枚目の写真にもチラッと写ってたが、なんかすごい車が大集結している。
友人A曰く、これはマドマックスという改造車がたくさん出てくるファンキーな映画のファンの集まりなんじゃないかということ。
ロシア人の工作能力はホント半端ないと思う。DIYというレベルではないが、DIYなんだろう。
そこから程なく行ったところの雪山のふもとで車が止まる。
いまから、この雪山を30分程度ハイキングするそうだ。
目的はよく分からないが、とりあえず雪山というだけでテンションがあがる九州人は喜んで雪山を駆け上がった。
気温が低く乾燥しているせいか、降り積もった雪はきらきらと七色に輝いている。
本当に美しい景色だ。
山頂の景色も最高だった。今上ってきた山は、地層がしゅう曲により垂直になったものが部分的に削られてできたものだったようだ。
ここはバイカル湖のほとりであり、そのバイカル湖はプレート運動の狭間で引き裂かれるようにしてできた湖とのこと(しばしば小さな地震も起きているらしい)。
なんじゃいよく分からんけど、この辺全体複雑な地殻変動が起こっているのだろう。
あと、山頂の岩には鹿の壁画があった。この辺の遊牧民が描いたものなのだろう。
そういえば、道中のところどころに木でできたモニュメントのようなものがあり、日もがたくさん結び付けられていた。
このあたりには、精霊信仰があり、人はそれぞれ13の動物を祖先に持つ13の家系に分かれていると信じられていたようだ。
その中でも、仏教を持ち込んだ?タカはとても尊敬されており、別格なのだそうだ。
地味に、ここでも日本と同じ精霊信仰と仏教の考えが結びつく神仏習合のような現象が起こっており、仏教と精霊信仰の親和性のよさをうかがうことができた。
さて、ついに本題のバイカル湖である。
シベリアに流された革命犯(デカブリスト)の像が鎮座する丘から、バイカル湖を見下ろす。
朝10時に出発して、17時15分。日本を出てから、1日半。
ついに、ついにきたんや。
冬のイルクーツク、バイカルツアー(2018.2) その2 イルクーツク到着
かくして、イルクーツクに向けて飛び立った私たちだったが、さっそくトラぶった。
今回、福岡⇒インチョン⇒イルクーツク
という便だったのだが、福岡空港ではインチョンまでのチケットしか発行できず、イルクーツク行きの切符はインチョンで入手する必要があったのだ。
インチョンのトランジットゾーンでは、階下に降りる際に、トランジット後のチケットを求められるので、これは一度出国して、チケットを入手してこないといけないのだなとうっかり出国してしまったのだ。
ところどころにあるゲートは、チケットをかざすと入れるのだが、チケットがない場合は、フライトナンバーを入力すればいけるらしい。
時間的には余裕があったので、それでも大丈夫だと思っていたのだが、出国後にインチョンのターミナル間を移動するバスは、とんでもなく時間が掛かる(20分くらい乗ってたんじゃないだろうか?)うえに、
チェックインゲートについて、唖然。
ああ、オリンピックか...。
ピョンチャンオリンピックを見て帰るロシア人で、チェックインカウンターは一杯!
これで、チェックイン~入国まで1.5時間くらい軽く掛かった。
登場ゲートに着いたのは、最終締め切り時間の10分前くらいだった。
まさか、慣れ親しんだインチョン空港でこんなにてこずるなんて...。
いや、オリンピック気分が味わえてよかった(混乱)。
マイナー便の乗り継ぎの際は、本当に気をつけないといけないと実感した。
こと、乗り換えに関しては、てんぱってうっかり出国しないようにしなければならないと心に誓ったのだ。
・・・このときは、この考えが後ほど、さらに大きなトラブルを招こうとは思いもしなかったのである。
かくして、トラブルもありつつ到着した。
イルクーツク空港は、ロシアでも着陸が難しい空港と言われているらしい。
事前に読んだブログでは、着陸時に運転手に拍手が送られるという話が載っていたくらいだ。
今回、私たちの場合はいたって問題なく着陸できた。ただ、満杯の乗客から送られた拍手は、ぱらぱらというレベルではなく、間違いない大喝采であった。
いや、そんなに難しいのかよ..(笑)
着陸するだけで、大喝采が巻き起こる空港もそうないだろう。なかなか面白い経験だった。
...と思っていたのだが、どうやらそれはイルクーツクのみの話ではなく、ロシア人に共通の現象だとのこと。
そういえば、ちきりん氏も著書「世界を歩いて考えよう」の中で、モスクワ空港に着陸した際に拍手が起こったことを、当時のソ連における航空技術がまだ不安であることとして例示していた。
そういえば、心配していた空港ATMも、無事VISA、JCBともに使えた。
何で、2種類使ったかというと、なぜか1種類につき20000ルーブルまでしかおろせなかったからである。
VISAやJCBがそもそも使えないのでは?
という心配はしていたが、引き出す金額の上限がこんなに小さいことは予想していなかったので、これは意外。
宿は空港から歩いていける距離にある、「Hostel bravo」を予約していた。
歩いていく間に凍死できるんではないかと心配していたが、着込んでいればある程度は耐えれる寒さだと分かった。
それでも、空気の冷たさになれない間は、息をするだけで思わずむせるほどだった。
空港周辺は町外れなので、買い物や食事に苦労するかと思いきや、思っていたよりはお店は充実していた。
ドイツ風ビアホールみたいなところで食事を取る。
相変わらず飯や酒が安い。3人でビール一杯と、肉料理やペリメニなどを頼んだが、一人当たり1200円ほどで済んだ。
特に自家製ビールが安く、しかもおいしかった。
日本の価値観では、クラフトビールは高級品だが、こっちのほうでは実家で作った梅酒みたいな感覚なんだろうか?
ちなみに、女の子の店員の制服がかわいく、そういう意味でもなかなか素敵なお店だった。
腹を満たした後、近所のスーパーで買い物をして、ホステルに帰る。
3人部屋で1人900ルーブル。タオルとかはないけど、清潔な部屋で、いたって快適であった。
一泊1800円でこれは上等。
しかも、働いてる女の子がかわいくて愛想がいい。
あしたから、いざバイカル湖に旅立つのだ。
高揚感よりもインチョンでたまった疲労のほうが大きく、ベッドに横になるといつの間にか眠りに落ちていた。